赤坂 憲雄 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM - Page 2

【忘れ語り、いま語り】ただ、忘れないために

 こんなエッセイを、『京都新聞』の2021年元旦の「日本人の忘れ物」と題された特集紙面のために書いた。おめでたい歳の初めの日の新聞には、およそ相応しくない内容の文章を、震災から十年目の世間に突きつけ ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】災禍の果てに①

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)  震災から十年の歳月が過ぎた2020年に、あらためて被災地を歩きながら考えたことを『河北新報』に連載しました。「災禍の果てに」と題された連載ですが、ここに ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】千年の記憶がよみがえるとき

 たしか、風煉ダンスの『まつろわぬ民』2017(作・演出/林周一、白崎映美/主演)という演劇のいわき公演のために、『福島民友新聞』に寄稿したエッセイである。わたしが観たのは、東京の座・高円寺で上演さ ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】古めかしい問いの立て方だ

 パソコンのなかに残っていた文章である。どこかに寄稿したのか、書きかけの原稿として残っていたのか、よくわからない。こういう時事ネタはたちまちに古びてしまうが、あえて記録として留めておきたい。福島県博 ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】 震災から学んだこと 

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)  パソコンのなかに、2014/10/3の日付けのある、福島県立葵高校で行なった講演のメモが残っていた。「震災から学んだこと」と題して、たぶん、この準備のメ ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】 巫女になった夜に 

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)  わたしが東北の地で聞き書きの旅を始めたのは、三十代も終わりに近く、一九九二年の秋であった。東北一円をひたすら、車で走りつづけた。ナマハゲ・縄文の環状列石 ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】 震災のあとに考えた、いくつかのこと 

 赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)  この文章を書いたことすら忘れていた。シンポジウムへの参加の依頼があって、そこに『「轟音の残響」から』(晩成書房)という本に寄稿していたことに気付いた。 ...さらに表示

【忘れ語り、いま語り】見えない現実、事後と痕跡を抱いて 

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)  2021年であったか、コロナ禍の京都で行なわれた国際的な写真展のために、依頼を受けて書いた文章である。「KYOTOGRAPHIE2021」と題された写真 ...さらに表示