【忘れ語り、いま語り】 震災から学んだこと | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

館長のつぶやき

【忘れ語り、いま語り】 震災から学んだこと 

2023.11.01

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)

 パソコンのなかに、2014/10/3の日付けのある、福島県立葵高校で行なった講演のメモが残っていた。「震災から学んだこと」と題して、たぶん、この準備のメモを元にしてしゃべったのだろう。こんなふうにメモを用意しても、聞いたくださる方たちの様子を見ながら、いつの間にか離れ、脱線して、遠くに漂流することがほとんどである。ここでは、当日の講演メモをそのままに掲載しておきたい。

東日本大震災のあとを生きる、
太平洋戦争の敗戦のあとよりも、戊辰戦争の敗戦のあとを想った。
戊辰戦争以後、そして震災以後について考えてみたい。

震災後にはじめて読んだ本が、『ある明治人の記録』だった。
三・一一のあとに、この覚悟の書を再読した。
震災以後をいかに生きるか、とにかく、覚悟を決めたかった。
この社会は変わらねばならない(その思いはいまも変わらない)。

会津が、東北が、近代日本の文化と教育において果たした巨大な役割を思う。
司馬遼太郎の「街道をゆく」のなかには、
会津藩は、全国でも指折りの教育と文化に優れた藩であった、と見える。
敗者ゆえに、負のイメージを強いられ、貶められてきた。
しかし、敗者ゆえに、身を捨てて、新しい社会を創るために働くことが出来た、という側面もあった。
『八重の桜』では、はじめて敗者の側から幕末・維新が描かれた。
会津の負のイメージを和らげたか。
西日本では人気がなかった、という。
そして、来年の大河ドラマは『松陰の妹』だという、懲りない人たちだ。
戊辰戦争にまつわる戦後は、いまだ終わっていない。

戊辰戦争の敗者となった、東北の士族の末裔たちの、その後に眼を凝らしてきた。
司馬遼太郎が語った東北の武士の群像。
私を捨て、公に殉じる武士たちの姿が見え隠れしている。
秋田の海辺に、防風林をつくった、一人の下級武士の仕事。
愚か者と罵られた男は、死後に、神に祀られた、その神社がいまもある。
明治以降の近代において、
中央では立身出世を許されない、いまに続く薩長による専制的な支配のもとで、
見えにくい場所に、たくさんの可能性の種子を蒔き、育てた人々がいた。
敗者の精神史を背負わされた、東北の武士の末裔たちの近代とは何か、問いかけてみたい。

福島は自由民権運動のメッカとなった。
民衆憲法の起草者たちのなかに、東北の士族出身者たちの影が見いだされる。
いわゆる五日市憲法草案は、2013/10/20に天皇夫妻が訪れたことで、広く知られるようになった。
79歳の誕生日に、皇后陛下は「世界でも珍しい文化遺産」と称えた。
起草者は、元仙台藩士の千葉卓三郎である。
五日市の村では、千葉を囲んで勉強会が行なわれ、たくさんの蔵書(洋書を含む)を読みながら、
人権と民主主義に根ざした、驚くべき憲法草案が創られたのだった。

奄美、沖縄に渡り、啓蒙活動を行なった人々がいた。
笹森儀助/津軽藩士にして『南島探験』の著者、とりわけ奄美の人々の民政のために尽くした。
岩崎卓爾/石垣島の気象台につとめ、島の歴史や文化を掘り起こし、島の人々を啓蒙し、若者たちを教育した。
仙台では忘れられているが……、島の人々に愛され、いまも尊敬され続けている。

近代の京都、大阪、東京をデザインした人たちがいた。
私利私欲を捨てて、大きなビジョンを掲げて、事に当たった政治家たち。
京都/山本覚馬、八重の兄、元会津藩士。
開明的諸政策を推進し、京都の近代化に大きく寄与した。
大阪/池上四郎、元会津藩士、砺波藩へ、大阪市民に慕われた清廉の人。
大正2年(1913)、市政浄化のため、57歳で嘱望されて大阪市長に就任。 財政再建、都市計画事業や水道事業、さらには大阪港の建設などの都市基盤を整備し、近代都市への脱皮を図った。
また、博物館や図書館などの教育施設や病院の整備など、社会福祉の充実にも力を注いた。
市長職を退任後、日本が植民地政策を推し進めていた朝鮮へ、総督府政務総監として赴任。
当時、半強制的に進められていた大土地所有制によって、貧困化していた小作農を救済するため、小作法を制定するなどの救済政策を進めた。
東京/後藤新平、岩手県水沢市生まれ、元仙台藩士。
関東大震災後、壮大な帝都復興計画を立てた。
反対派によって大きく計画は縮小されたが、いまに繋がる東京の首都としてのデザインの骨格は造られた。

あるいは、教育に関わり、東大・京大を作った人たちがいた。
山川健次郎(東京帝国大学、京都帝国大学、九州帝国大学の総長)
狩野亨吉(秋田出身、京都帝国大学)
内藤湖南(秋田出身、京都帝大教授、東洋史の基礎をつくった歴史家)
日本の近代教育の基礎つくりをした人々のなかに、会津や南部など、維新の敗者となった武士の末裔たちが多い。

敗者の末裔ゆえに、学問救世や経世済民の志を生きようとした……。

会津は、福島は、はじまりの土地となることなしには、明日へと歩を進めることができない。
それをきちんと自覚し、引き受ける覚悟を固めるところから、歩みはじめよう。
一人の大人として、福島にかかわり続けてきた者として、
子どもたちの未来のために、未来の子どもたちのために、何をなすべきか、ともに考え続けたい。
最後に、君たちに願うこと。
考えることをやめないでほしい、
いま、そこで何が起こっているのか、真っすぐに眼を凝らし続けてほしい、
諦めたときに、全てが終わるから……。