赤坂 憲雄 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

アニメは災害をいかに描いたか

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 『区画整理士会報』227より 〈3〉  さらに、『ヨコハマ買い出し紀行』(1995-2006)という漫画を取りあげてみたい。 これはいっさいの ...さらに表示

アニメは災害をいかに描いたか

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 『区画整理士会報』227より 〈2〉  さて、これに続く『天気の子』は、全編が雨に塗りこめられたアニメ映画である。はじまりの夏、舞台となる東京 ...さらに表示

「災禍の果てに」⑩⑪

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈10〉時の試練(河北新聞2021,2,12)  そのとき、井田川浦がたしかに、そこにあった。南相馬市小高の浦尻貝塚から、わたしは潟 ...さらに表示

アニメは災害をいかに描いたか

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)  『区画整理士会報』227 より 〈1〉  日本のアニメや漫画は、どのように災害を描いてきたか。気にはなっていたが、本格的に触れる機会はなかっ ...さらに表示

「災禍の果てに」⑧⑨

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈8〉 北限の猪(河北新聞2020,12,17)  かつて、宮城県丸森町は猪が棲息する北限の地であった。阿武隈ライン舟下りでは、コタ ...さらに表示

「災禍の果てに」⑥⑦

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈6〉一揆(河北新聞2020,10,14)  九月の末、釜石から三陸鉄道リアス線に乗った。復興とはなにか、という問いが、窓の外にゆら ...さらに表示

「災禍の果てに」④⑤

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈4〉距離(河北新聞2020,8,13)  人のあいだと書いて、人間という。ならば、人間にとって、距離とは、とりわけ社会的な距離とは ...さらに表示

「災禍の果てに」②③ 

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈2〉共生(2020,6,11河北新聞)  連休のころ、カミュの『ペスト』を読んでいた。その文庫本はじつは、東日本大震災のあとに書庫 ...さらに表示