アニメは災害をいかに描いたか | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

館長のつぶやき

アニメは災害をいかに描いたか NEW

2024.05.15

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長)

『区画整理士会報』227より

〈2〉

 さて、これに続く『天気の子』は、全編が雨に塗りこめられたアニメ映画である。はじまりの夏、舞台となる東京の街は降りやまぬ雨にたたられ、どこもかしこも薄く水に覆われている。近世の江戸は水の都であった、という。武蔵野台地から引きこまれた用水や張り巡らされた堀割・河川によって、とりわけ江戸城(いまの皇居)の東の海側に広がるエリアは、ヴェネツィアにも似た「水の都市」(陣内秀信『水都東京』ちくま新書)であった。江戸や東京が橋のある水景によって演出されてきたのは、偶然ではない。『天気の子』というアニメは、こうした水の都としての江戸から東京へと連なる歴史を踏まえながら、いわば水没都市への道行きのはじまりを描いていたのかもしれない。
 かつて村にも国にも、「天気の巫女」と呼ばれる、天気を治療することを仕事にしていた巫女たちがいた、という。その末裔のような少女ヒナがヒロインだ。一年前に、ヒナの母親は亡くなった。その死を看取り、廃墟のビルの屋上にある古い鳥居をくぐったときに、ヒナは空と繋がったらしい。お盆には空から死者たちが帰ってくる。地上で迎え火を焚くと、煙に乗って、向こう岸から死者が帰ってくるのだという。空からは水の魚が降ってくるが、すぐに消えてしまう。それは空の魚で、雲のなかを泳いでいる。空はたくさんの水をたたえた未知の生態系だ、という、そそられるイメージも語られている。
 その夏は、観測史上で最大にして最長の降雨がもたらされた。ヒナは祈りを捧げることで小さなエリアを晴れにする、不思議な能力をもっていた。ヒナと少年ホダカ、ヒナの弟ナギと三人で、「100%の晴れ女」としてネット上で売り出すと、たちまち噂になり、引っ張りだこになる。しかし、やがて天気の子は人柱だという声が聞こえてくる。ヒナは実際、晴れ女としての能力を使うごとにからだが透明になってゆき、やがて姿を消してしまう。そうしてヒナが人柱になるのと引き換えに、水浸しの街には二カ月ぶりの快晴がもたらされる。それから、ホダカが水に浸かった道や線路を歩いて、廃墟のビルの屋上へとたどり着き、鳥居をくぐった。空という彼岸へと向かったのだ。そこでヒナと出会い、二人は手を取り合って、雲の穴から地上へと落ちてくる。人柱は無効とされたのか、ふたたび大雨になる。それは東京の街を水底に沈めながら、三年後にも降り続いていた。ホダカは坂をのぼってゆき、水辺に立って水没した都市を眺めているヒナとの再会を果たした。
 たしかに、ヒナはつかの間、ほんの狭いエリアではあれ、雨降りを止めて天気を招き寄せる巫女のような少女、いわば天気の子だった。しかし、大きな異常気象という名の天災を防いだり変更することはできず、東京の街は水浸しになっていった。夢や祈りによって天変地異を防ぐことは、かなわぬ夢であり、災害はそれとしてとりあえず受容することしかできない。できるのはただ、災害を少しでもやわらげる、減災でしかない。たとえ、世界が狂っているのだとしても、その世界と共に生きてゆくことを選択するしかない。
 わたしはここで、古代には存在したらしい、日知(ひじり)や月読(つきよみ)、雨司(あめのつかさ)などと呼ばれたシャーマンたちを思いだす。太陽や月などの運行に眼を凝らし、観察しながら、天変地異の訪れを予知して、その災いを避けたり弱めたりすることを役割としたらしい巫覡の徒であった。次の『すずめの戸締まり』にも、閉じ師という名のシャーマンが登場してくる。『君の名は。』のヒロイン三葉もまた、結び(古代には産霊)にかかわる古い神社の巫女であり、そのミツハという名前は水の巫女にちなむものであった。新海誠監督のアニメ作品はどうやら、『古事記』や『万葉集』などの古さびた神話や物語を底に秘めて、それをこの時代に甦らそうとしている。
 ともあれ、『天気の子』は最後にいたって、あの夏以来降り続いてきた雨によって水没都市と化した東京を描いている。下町は水に沈んでしまった。下町から高島平へと引っ越した老人が、こんなことを語る場面があった。老婆はいう、あの辺はもともと海だった、ほんの二百年前、江戸そのものが海の入江だったのだ、それを、人間と天気が少しずつ変えてきた、元に戻っただけだ――と。
 ここでの下町がどのあたりを指しているのかは、いくらか曖昧である。江戸時代の下町は京橋・日本橋・神田が中心であり、幕末から明治初めにかけて下谷・浅草を含むようになり、昭和の初め頃には本所・深川へも広がっている。今日では、それがもっと東へ延びて江戸川区や葛飾区を、さらに北側の荒川区や足立区までが下町エリアに含まれるようになっている(筒井功『東京の地名』河出書房新社)。
 どうやら、老婆が語った下町は本所・深川あたりか、荒川沿いの江戸川区あたりではなかったか。大雨特別警報が出されるなかで、東京の河川の氾濫が次々に起こっていることが、テレビニュースで流れている。それらの荒川や江戸川、隅田川の流域に広がる下町が水に没したので、老婆は板橋区の高島平団地に転居せざるをえなかったらしい。そうした、かつて海であったエリアは思いがけず広い。内陸部にまで水にゆかりの深い地名が分布しているのは、縄文海進の時代の記憶のかすかな残存であるのかもしれない。近世の初めには、それゆえ四百年ほど前には、日比谷入江が深く陸側に食いこんでいたが、それが江戸城と大都市江戸の建設の過程で埋め立てられ、江戸城下の東側の下町となっていった。江戸そのものが海の入江を埋め立てて拡大してきた都市であったわけだ。水に沈んだのは元に戻っただけだ、という老婆の歴史語りは、けっして荒唐無稽なものではない。
 海岸線の歴史には驚くほどに揺らぎがある。二〇一一年の海岸線を自明の前提として、そこに巨大な防潮堤を造ることから始まる復興プロジェクトにたいして、わたしは懐疑を拭えずにきた。被災地を歩きながら、幾度となく、津波に舐め尽くされ瓦礫に覆われたあたりを指差しながら、あそこは元は海だった、と教えてくれる人たちに出会った。津波が届かなかった先の高台には、なぜか神社があり、さらに中世の館跡や縄文時代の貝塚があった。そこに暮らす人々はおそらく、津波や高潮が届かない場所をわざわざ選んで、それらの施設を建てて暮らしていたのである。それが災害から身を守るための知恵であったことは、否定しようがない。
 地名にはときおり、知られざる土地の記憶が宿されている。たとえば、日比谷という地名の由来に眼を凝らしてみるのもいい。『武江年表』(1850)という書物には、「ひゞかせぎをなすもの住居の地なれば、ひゞや町といへり」と見える。このヒビとは、海辺の浅いところに枝付きの竹や木を平行に立て並べて、満潮時にその通路へ入りこんだ魚を、潮が引いたあとに捕まえるための仕掛けをいうらしい。日比谷のヤは、かつては「屋」と表記していたようで、これはヒビ漁師の家や漁小屋にもとづく地名ではないか、そう、先に引いた『東京の地名』で筒井が説いている。日比谷入江を埋め立てて、いつしか生まれた日比谷という街の雑踏のなかに立ち尽くし、足元に入江の海が寄せてくる幻想に遊んでみるのもいい。『天気の子』はそんな水の東京へと誘いかけてくる、どこか数奇なアニメでもある。
 『すずめの戸締まり』にも触れておく。そこには、くりかえすが、閉じ師と呼ばれるシャーマンの一族が登場する。かれらは地震を惹き起こすミミズに翻弄されながら、何とか異界からの扉を閉めてミミズが溢れ出すのを防いだり、ダイジン・サダイジンと呼ばれるネコを要石に使って地震を抑えようとする。しかし、それは防災とはならず、せいぜいが減災のためにしか役に立たない。そして、この物語はロードムービーのように、宮崎から愛媛へ、神戸へ、さらに東京へ、三陸へと、被災地を巡る鎮魂の道行きをたどってゆく。その果てに、少女の封印されていた、四歳のときの東日本大震災の記憶が甦る。そうして、母親の死とその後に伯母によって育てられた日々を、はじめて前向きに受け入れることができるようになる。震災の見えない傷を癒すための旅だったのである。
 それにしても、『君の名は。』から『すずめの戸締まり』へと、新海誠という映画監督が「災間」の時代をいかに生きるべきか、という問いを誠実に引き受けてきたことに、わたしは敬意のような思いを感じている。