菅家 博昭
集落運営~中間団体の危機
菅家 博昭(かんけひろあき) 4月7日(日)、住まいする大字区の地域運営を行う中間団体・「大字地区」の地区総会が開催された。2月中に、総会日程等を決める役員会が、小野川本村のセンターで開催さ ...さらに表示
縄文時代のナラ枯れ論
菅家 博昭(かんけひろあき) この十数年、奥会津地域のミズナラ類の大径木がカシノナガキクイムシにより集団的に枯死している。全国の被害統計を示す(図)。 私の暮らす滝谷川上流域 ...さらに表示
民具3D撮影
菅家 博昭(かんけひろあき) 2月に、金山町玉梨に保管されている民具資料の3D映像による撮影が行われ、撮影する資料の選定に立ち会った。奥会津の冬に関する民具が2024年の奥会津地域連携事業の ...さらに表示
焼畑の瓜(ウリ)・金山町大志
菅家 博昭(かんけひろあき) 2020年7月13日、金山町大志の中丸太一さん(昭和6年生)、澄子さん(昭和9年生)ご夫妻にかつてのカノ(焼畑)について教えていただいた。 大志から只見川を舟( ...さらに表示
焼畑で「を」を作る
菅家 博昭(かんけひろあき) 奥会津で「を(wo)」というのは、繊維植物のアサ(大麻)のことを言う。江戸時代はアサ繊維の一大産地であり、その麻布も「伊北(いほう)布」と言って他所より引き合い ...さらに表示
子ども焼畑
菅家 博昭(かんけひろあき) 昭和7年(1932)生まれの父・清一(せいいち)は、大岐では「いちあんにゃ」と呼ばれている。91歳になっても、「あんにゃ(兄者)」である。対して女性には「あね( ...さらに表示
奥会津地域の潜在的な縄文文化の再考へ~容器としての土器と、カゴの相互関係
菅家 博昭(かんけひろあき) 2024年1月7日、栃木県小山市の寺野東遺跡公園を訪ねた。縄文時代中期から後晩期の環状盛土遺構・水場遺構が検出された著名な遺跡である。弓、櫛(くし)などの漆製品 ...さらに表示