菅家 博昭
焼畑で「を」を作る
菅家 博昭(かんけひろあき) 奥会津で「を(wo)」というのは、繊維植物のアサ(大麻)のことを言う。江戸時代はアサ繊維の一大産地であり、その麻布も「伊北(いほう)布」と言って他所より引き合い ...さらに表示
子ども焼畑
菅家 博昭(かんけひろあき) 昭和7年(1932)生まれの父・清一(せいいち)は、大岐では「いちあんにゃ」と呼ばれている。91歳になっても、「あんにゃ(兄者)」である。対して女性には「あね( ...さらに表示
奥会津地域の潜在的な縄文文化の再考へ~容器としての土器と、カゴの相互関係
菅家 博昭(かんけひろあき) 2024年1月7日、栃木県小山市の寺野東遺跡公園を訪ねた。縄文時代中期から後晩期の環状盛土遺構・水場遺構が検出された著名な遺跡である。弓、櫛(くし)などの漆製品 ...さらに表示
縄文文化衰退説への疑問
菅家博昭(かんけひろゆき) 2023年7月から11月まで、奥会津7町村で「奥会津の縄文」展が開催され、図録も刊行された。『会津嶺』(あいづね情報出版)は6月号から11月号まで本展の特集を掲載 ...さらに表示
檜枝岐の縄文後期「綱取式」
菅家 博昭(かんけひろあき) 2023年1月31日、「奥会津の縄文展」事前調査で檜枝岐村を訪ねた。事前調査を担当された長島雄一氏が、現在の本村集落立地の場所から縄文後期の人面付き土器、ハート ...さらに表示
奥会津の山形押型文土器
菅家博昭(かんけひろあき) 合併前の南会津町会津田島では、後原の田島郷土資料室を主宰する樋口弘一氏と渡部康人氏らが小中学生時代から先史時代の遺跡の踏査を行っていた。それは『たじま考古』第5号 ...さらに表示
石橋遺跡(南会津町針生)
菅家 博昭(かんけひろあき) 合併前の南会津町会津田島では、後原の田島郷土資料室を主宰する樋口弘一氏と渡部康人氏らが小中学生時代から先史時代の遺跡の踏査を行っていた。それは昭和45年(197 ...さらに表示