新着情報一覧
【奥会津探訪】 大芦ダイモチ引き木遣り
須田 雅子(すだまさこ) 橋や家屋の大黒柱にするために、山から伐り出した大木「ダイモチ(発音:デーモチ)」を大勢で引いてくる様子と、引きながら唄っていた労働歌を民俗芸能として保存して ...さらに表示
【奥会津探訪】 ダイモチ引きの記憶
須田 雅子(すだまさこ) 「大芦ダイモチ引き木遣り保存会」の前会長である五十嵐善信さん(昭和11 年/1936 年生まれ)は、「ダイモチ引き」の子どもの頃の経験を語ってくれた。ダイモチ引いて ...さらに表示
【会津の縄文時代をのぞいてみよう】5.会津は文化のクロスロード(交差点)~他地域との交流土器
長島 雄一(ながしまゆういち) 5.会津は文化のクロスロード(交差点)~他地域との交流土器 次の図は縄文前期・中期の会津地方において、他地方の土器、また他地方の影響を受けた異系統の土 ...さらに表示
【わっさな暮らし】 魔法の言葉、魔法の手
井口 恵(いぐちめぐみ) 二瓶キシイさん(昭和11年生 三島町) 「こんなん、さすけねぇ(大丈夫だ)」。 なんとか完成させるんだと意気込んで編んでいるうちに、凝り固まっていた身体の力が ...さらに表示
【忘れ語り、いま語り】 赤についての随想
赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) これもまた、パソコンのなかに残っていた文章である。どこに寄稿したエッセイなのかは、もはや記憶にはない。これがどのように、奥会津のいまに繋がってゆくのかは ...さらに表示
【きかんぼサキ】 知らない人で溢れる家
渡辺 紀子(わたなべのりこ) 本名の集落の変貌は、日々めまぐるしいものだった。見たこともない店、見たこともない施設、見たこともない人たちで、村はみるみる溢れてきた。そして、その波はサキノの家 ...さらに表示
【小説】 身欠きニシンと不思議の山
菊地 悦子(きくちえつこ) タケシが学校から帰ってくると、思ったとおり身欠きニシンの束が土間にどっかり置かれていた。こないだっから、かあちゃんが「ニシン売り、明日あたり来んでねえべか」といっ ...さらに表示
【奥会津の介護事情】 自宅で看取る ~住み慣れた家で~③
舟木 志子(ふなきゆきこ) ハルヨさんは厳しい母だった。由美さんは末っ子だったが、甘えた記憶も甘やかされた記憶もあまりない。よく叱られ、幼いころは母が恐かった。自分は母親にどう思われているの ...さらに表示