【オオマタ暮らしのたより】 観音講復興計画 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【オオマタ暮らしのたより】 観音講復興計画 

2023.09.01

菅家 洋子(かんけようこ)

 毎年12月になると「オナゴテイ」(女の人たち)が集まり、集会所の掃除をする。30分から1時間くらい手分けして掃いたり拭いたりしたあとは、お茶の時間。この時のお茶菓子を準備するのも、私の係になっている。クリスマスも近いころなので、姉さまたちが喜んでくれそうな、かわいらしいケーキを買うことにしている。

 その日、ひとつ提案したいことがあった。それは、「観音講」を行うこと。新型感染症のさなかということで、数年のあいだ開催は自粛されていたけれど、姉さまたちも年を重ね、このままでは自然消滅していきそうな気配があった。それまでは義母のミヨコさんが出席していて、私は一度も参加したことがなく、オオマタの観音講がどんなものなのか体験してみたかった。そして全体の流れが分かっていれば、来年以降、私が準備の中心になって行事を続けていけるかもしれない。

 「ちょっとみなさんに聞いてもらいたいのだけど…」と切り出し、「観音講をやってみたい」と話すと、姉さまたちはあっさり「やっぺや(やろう)」と了承してくれた。「観音講」は「オナゴテイ」のお祭り。観音さまの掛け軸をかけ、「歌詠み」をするということは何となく知っている。そして私が一番興味があったのが、「オカラク」という食べ物。その「オカラク」とやらを、是非とも作って食してみたかった。集会所の中に必要な道具があることを確認し、大まかな日程を決め、年が明けたらもう一度調整しようということになった。

 新年を迎え数日が経ったある日、「観音講」の日時を確定するために、まずは隣のテルコさんを訪ねた。テルコさんは、お正月にこしらえた料理を色々と出してくれた。煮物、煮豆、イカ人参、手作りリンゴジャムを添えた自家製ヨーグルトなど。「ヨウコちゃん、新聞さ何か書くのか」とテルコさんに聞かれた。ありがたいことに、私は1月から福島民報新聞の「民報サロン」執筆者の一人として、コラム(全五回)を書かせてもらうことになっていた。テルコさんは、娘さんからの電話でそのことを知ったという。話題にしてもらえること、うれしいなと思った。

 テルコさんの家を出て、2軒に日時を伝え、最後にフミヨさんの家へまわった。戸を開けると、フミヨさんは玄関先で「凍み大根」を作っているところだった。皮を剥いた大根を茹で、外に干して寒さのなかで乾燥させる。藁の束が置いてあるので、聞くと、「茹でた大根にビニール紐を通すと、大根が割けてしまう。藁のほうがいい」とのこと。もう大鍋でいくつも茹でたそう。販売はしない。家族や知り合いに配るための、凍み大根。

 「こうやって動いてくっちぇ、ヨウコちゃんがいてくれてよかったぞなぁって、こないだテルコ姉とも話しただ」とフミヨさん。そんな風に言ってもらえてありがたいけれど、良くしてくれる姉さまたちがいて、このオオマタという集落の環境に安心していられるから、私は気を楽にして自分に出来ることに取り組むことができている。人を訪ねることひとつを取っても、それが緊張を伴うものであれば、行事をしたいなどと考えないだろう。今担っている役割はとてもささいなことで、私にはきっとこれ以上のことをできる器もない。みんなが気軽に集まって過ごすひとときを調整する人として、それだけは全うできたらと思っている。