遠藤 由美子(えんどうゆみこ)
今から1世紀ほどの昔、三島町の山寺に、ひとりの少女が花を売りに来たという。
少年だった父が何処から来たかと問うと、山で採ったらしい一抱えの花を差し出しながら「トンガリーのコシマキから来た」と言った。
それから何度か花を抱えてきたが、「トンガリーのコシマキ」とは、その時少女が指し示した北の方角の、山裾のことだろうと理解したそうだ。見慣れぬかわいらしい少女と、「トンガリーのコシマキ」という聞き慣れない場所の名前は、少年だった父に、鮮やかな記憶として刻み込まれたようだ。長じて、あの少女はサンカの娘だったのだろうと、妙に納得したのだという。
父が思い描いていた場所は、西会津の黒沢あたりの山だった。幼い頃、夜ごとに聞く物語に、花売りの少女の短い話は、黒沢という地名と共に幾度も登場した。
以来、峠を越えた黒沢という所は、一年中美しい花々が咲き乱れる桃源郷のようなところなのだろうと想像していた。夢にも見た。
小学校の遠足で、黒沢に行くと聞いた時の喜びたるや、うれしくて眠れなかったことを覚えている。しかし、うねうねと山道を歩いて辿り着いたところは、両側から山が迫って薄暗く、一輪の花もない寺の裏山と同じようなところだった。期待と現実の甚だしい格差は衝撃的で、その失望感はしばらく父にも向けられていた。いまだに黒沢を通ると、この一連の流れを思い出す。
黒沢集落に入る橋の手前に、蝦夷(えぞ)神社がある。日本武尊を祭神として、源義経を祀るという。細く急な石段が山に向かって伸びるその神社に、いつか行って見たいと思いながら果たせないでいる。そこは薄暗くて、ひとりで登るのが恐ろしいからだ。
蝦夷神社の名前を持つ神社は、北海道の倶知安町と山形県の南陽市の三か所のみだという。この神社を横目に車を走らせている時、いつも花売りのサンカの娘を思い出す。サンカは、まつろわぬ民と言われた蝦夷の末裔ではなかったかと、安直に連想してしまうからだ。
サンカについては諸説あるようだが、確たる研究はないらしい。それはむしろ、管理に抗う彼らが、ぎりぎりまで貫いた生き方の証のようにも思える。
自然に添いながら山に住み、漂泊する人々は、里に住みついて管理されることを拒み、自由で闊達な暮らしを営んでいたのではないか。
そう思えるのは、父の後日談があるからだ。
ある時、講演に行った会場で、品のいいご婦人に挨拶されたという。はて?どなたであろうかと戸惑っていると、柔らかに笑みながら「トンガリーのコシマキから、花を買っていただいていた者です」と名乗られ、ひどく驚いたそうだ。すっかり忘れていた少女は、出自などに頓着せず、とてもふくよかで素敵なご婦人になっておられたと、年老いた父は嬉しそうに語っていた。
夜ごとに聞いた短い物語は、謎めいた永い空白の時を抱えて、生き続けていたのだった。