只見線に懸ける想い | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

只見線に懸ける想い

2024.05.01

井口 恵(いぐちめぐみ)

齋藤明美さん(昭和28年生 柳津町)

滝谷駅前で商店を営む、蒸気機関車の只見線がすぐ横を走る家で明美さんは生まれた。
明美さんが幼い頃の只見線の記憶は、大きな汽笛を鳴らし、黒い煙を吐きながら重い車体で奥会津の山間を登っていた。
「冬は雪が酷いと郷戸駅と滝谷駅の間の坂が登れなくて、汽車が滝谷駅に戻ってくるの。汽車に乗っているお客さんと職員さん分の炊き出し注文があって、近所のおばちゃんたちがおにぎり作りに白い割烹着で集まってくるのよ」

高校を卒業してから実家を出て、神奈川県で大手百貨店に就職をし、たくさんのお客様をもてなす経験をした。
「洋食、マナー、調度品の見立て、お稽古事、美術芸術演劇…今までとは天と地がひっくり返るような生活だったわ。5年勤める中で、初めての新しいことをたくさん学んだ、貴重な時間だった」
その後柳津町に戻ってから、百貨店での接客経験を生かして観光協会で働いていた。

2022年10月1日に全線開通をしてから、徐々に柳津駅に降り立つ観光客が増えてきたと感じたが、駅前には飲食店も休憩所もなく、受け入れ態勢は全く準備されていなかった。
開通当時、お手伝いで乗降客数カウントを行っていたら、観光情報を聞かれることが多くなり、必要とされているなら応えたいと自発的に動き出した。
平日は駅での観光案内と列車やバスに手を振るおもてなし、土日は柳津駅~川口駅間の列車内でガイドを行う。
お話を聞いた現在のご自宅のすぐ横を只見線が走り、リビングの大きな窓からは真っ直ぐに会津柳津駅が見える。
「ご飯食べてても、バスが来たらおもてなしに駅へ飛んでいくわよ。今日は休むぞって決めても、お客さんが見えたら行かなきゃ~てなるの。駅に誰かいないのが、もったいなくて」
30年前にふとしたご縁で家を建てた現在のご自宅は、今まさに明美さんのためにある。
その時からの宿命だったのだと、そう思わずにはいられない。

明美さんのガイドが聞きたくて、私も久しぶりに只見線に乗ってみた。
良く晴れた日曜日、程よく全席が埋まるくらいのお客さんで車内は賑わっていた。
「みなさま~これから通過するのが一番人気の第一橋梁です」
2両の前後車両を行ったり来たりしながら、ぐいぐいと声をかけていく。
興味深く目を向ける人、面倒くさそうに顔をしかめる人、眠りこける地元の学生、日本語がわからずぽかんとする外国人。
「Where are you from? English OK?」
スマートフォンの翻訳アプリを素早く使いこなし、ためらうことなく積極的に話しかける。

乗ってみると、只見線の中はちょっと不思議な空間だと感じた。
列車の音や振動、車窓から見える景色、それにガイドの案内が加わると、自然と乗客の意識が同じ方向を向き、他人への警戒が緩むような気がするのだ。
「このトンネルから真っ直ぐ見える、あそこの出口の形とか、いいですよね」
自然と会話が生まれ、只見川を背景に窓際に並べた粟饅頭と地酒の写真をみんなで撮ったりと、盛り上がったりもする。
「昔は生活列車だったけど、今は完全に観光列車ね。それでいいと思うのよ。むしろ通学の学生や地元の人もそのつもりで乗ってもらって、気が向いたら観光案内でもしても良いと思うの」

毎日通学で乗る高校生が、明美さんのガイドを聞いて内容を覚え、手伝ってくれたことがあったそうだ。
只見線にお客さんとして乗った時に線路沿いで手を振ってもらったことが嬉しくて、今度は一緒に只見線に手を振りたいと再来町したお客さんもいた。
「これ以上の幸せってない。本当に嬉しい」

「ずっと私がやっていたんじゃだめなのよ。只見線や駅が活性化することで、若い人がお金を稼げる働く場に繋げたいと思っているの。これが今の私の目標よ!」
只見線と共に育った明美さんの元気溢れるおもてなしが、只見線を、奥会津を盛り上げる。