気をつけて、な | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

気をつけて、な

2024.04.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

飯塚 勲さん(昭和17年生 三島町)
飯塚 キシノさん(昭和25年生 三島町)

「気をつけて」。
挨拶の、一部分だと思っていた。
見送るときの、定型的ないつもの挨拶の、なんてことないワンフレーズ。
しかし、奥会津に来てからこの言葉の重みが、変わった。

「心配するぅ」
勲さんと何度か一緒に山に入らせていただいた。
すると、いつもいつも、いつもキシノさんが勲さんの帰りを心配そうに待っている。

勲さんは5人兄弟の長男で、16歳のとき一番下の弟の誕生と同時に義母親を亡くした。
まだ幼い弟たちを支えるために、早くから父親の農作業を手伝い、家事と育児で高校進学を諦めた。
「悲しかったわぃ。みんなが仲間同士でワイワイ学校行くの見てた。進学していなかったことが恥ずかしくて、逃げるために山行ってた」
学校に行く近所の友達に会いたくなくて、自然と山に隠れるようになったという。
「生まれたばかりの弟のために、牛乳取りに隣の集落まで行ってた。日の昇る頃出てって1升瓶抱えて戻ってくっけど、その日でなくなっちまう。母乳がないから、冬は毎日毎日雪かき分けて山越えて行くしかなかった」
一番下の弟は自分が育てたようなものだと、懐かしそうに、優しく笑う。

勲さんはどこまででも深い山に入っていく。
山野草や盆栽が好きで、岩山の割れ目に生えている程よい大きさの杜松を求めて奥山まで歩いた。
山の中には、いつも勲さんを待っている“友達”がいる。
「俺が来たぞーっ」と呼ぶと、いつも同じカモシカが姿を現し、勲さんの後ろを一定間隔でついてくる。逃げたりしない。
「カモシカが近くにいてくれっと、熊みたいな他の獣はいないってことだから、安心できる」
ほんの少し前までは、奥会津では山が生活の拠点だった。
山間に集落をつくり、山からの恵みをいただいて、暮らしを営んできた。

そんな山に慣れた勲さんも、木から落ちて気を失ったことがある。
なんとか自力で山から降りて来れたが、5か月程入院することになった。
山では獣にも会うし、神隠しだってあるかもしれない。
足を滑らせて急斜面から滑落したり、方角を見失って遭難することだってある。
自分の庭のように毎日毎日山に入っていても、思わぬ危険が潜むのが、自然の恐ろしいところだ。
軽トラックやスマホがない時代、キシノさんは勲さんが山から下りてくるまで、ただただ無事を願って待つしかなかった。
山に行くという“日常”ではあっても、“待つ”時間は、どれだけ、どれほど心配だっただろう。

「気をつけて」は単なる挨拶では、ない。
相手を思い、案じて、心から無事を祈って待つという、相手への大きな気持ちだ。
自分のためだけではない、それ以上に待ってくれている人のためにも、どんな小さなお出かけでも十分に気を付けて、無事に帰ってこなければならないのだ。

「今は足が悪くなって、ふたりで手繋いでデイサービス行ってる。車も放しちまったから、どこ行くにも支えあわないと行けない。だからどこ行くにも一緒なんだ」。
今はもう、奥山には行けなくなったかもしれない。
けれども、勲さんとキシノさんのお互いを思いやる気持ちは、より一層強くなる。