菊地 悦子(きくちえつこ)
【その1】
小気味よい音をたてて空き缶が飛ぶと、こどもたちは「逃げろっ」と叫びながら四方八方に駆けだした。空き缶をけるのは、四年生のカマモトだ。隠れる時間を稼ぐため、缶はできるだけ遠くに飛ばす方がいい。カマモトは缶をけるのが得意だった。
鬼は缶を戻し、こどもたちを探す。見つけたら、その子の名前を呼びながら缶を踏む。全員見つけたら鬼の勝ち。見つかる前に、誰かが缶をけったら鬼の負けというのが缶けりのルールだ。
雪が溶けてからはよく缶けりをする。それはやっぱりカマモトがいるからで、みんなカマモトが缶をけるのを見たいのと、カマモトが少し嬉しそうにするところも見たいのだ。
カマモトはその年の春、村のじいちゃんとばあちゃんの家にひとりでやってきて、そのまま一緒に暮らすようになった。転校の初日、半ズボンに白いハイソックスを履いて登校してきたカマモトに、みんな目を丸くした。山間の小さな村に転校生なんて、ただでさえ珍しいのに、漫画雑誌の写真でみるような恰好をしているのだから、それはほとんど事件といっていい。
窓際の一番後ろの席にカマモトが座ると、みんな一分置きに後ろを振り返る始末で、もう授業どころではない。休み時間になると、物怖じのしないこどもが、前の学校はどこにあったのだとか、どうしてこの村にきたのだとか、遠慮のない質問を浴びせた。他のこどもたちは興味深そうに、あるいは女の子同士でくすくす笑いながら、その様子を見ているのだった。
ところが、当のカマモトは表情も変えず、質問にも答えずに机を眺めているものだから、なんだかみんな拍子抜けしてしまった。
もっとも狭い村のことだ。大人たちはうっすらと事情はわかっていて、カマモトの父親はどこか遠い外国で仕事をしているそうだとか、母親は体を悪くしているらしいとか、こどもに聞かせるわけでなくとも、日を追ってこどもたちの耳にも入ってくる。だからなんとなくみんなカマモトには遠慮もあった。遊びに誘っても、ちっとものってこないカマモトの素っ気なさも重なり、カマモトが村に来てから半年くらいは、みんなカマモトのことをただ遠巻きに見ていた。
カマモトというのはあだ名だ。
盆も過ぎ、ツクツクボウシがせわしなく鳴いて、夏休みの終わりを急き立てる頃のことだった。広場に置かれた空き缶を、たまたま通りかかったカマモトが、特に理由もなくけった。缶はびゅんと風を切り、大イチョウの枝の間を通り抜けて飛んで行った。なによりそのフォームが決まっていて、誰かが「釜本みてだな」と叫んだ。その時からカマモトはカマモトになった。
釜本はメキシコオリンピックで大活躍した名ストライカーだ。そのあだ名が案外気に入ったのか、「カマモト、缶けりやっぺ」と誘うと出てくるようになった。とはいっても、カマモトは缶をけると、みんなと一緒に隠れるわけでもなく、いつの間にかふいっといなくなってしまう。それでも、村のこどもたちは、他にカマモトを誘う手立てもなく、ほんのいっときでも、カマモトが自分たちの遊びの輪に加わるのが、なんとなくうれしいのだった。
そもそも遊び仲間は三つ、四つのこどもから小四までとばらついていて、遊びの中身も限られた。高学年になると高学年同士で遊ぶようになるのだが、カマモトはまだ四年生だから年少組に分けられる。それがずっと前からの村のこどもたちの暗黙のしきたりだった。
この前なんか、カマモトがけった缶があんまり遠くへ飛んでったもんだから、鬼になったミチエはべそをかいていた。ミチエはまだ一年生だ。カマモトももっと手加減すればいいのにと思いながら、おらはミチエの缶探しにずっとつきあっていたのだ。当のミチエはちっとも気づいてはいないのだけれど。
「こっち!」
コウコが、おらの手をとって走り出す。鬼役のユウジが空き缶を拾い、円陣の真ん中に戻している間に、おおかたのこどもらは廃屋の中へもぐりこんだ。ここは小学校の分校だったところだ。分校といっても十二畳ほどの教室と、六畳ほどの小部屋があるきりの簡素な校舎で、ずいぶん前に村の大人たちが建てたのだ。校舎の前には広場もあり、南側に大イチョウの木が立っている。幹はこどもが四、五人くらい手をつないで、やっと一周できるほどで、高さは平屋の校舎の三倍くらいはあるだろうか。
かつて一年から三年までの生徒は、集落にあるこの分校で学んだ。四年になると約四キロ離れた本校に通うのだが、新しい道路ができて本校までぐんと近くなったため、数年前に廃校になった。分校へ通うこどもたちが年々少なくなってきたのも理由のひとつだ。
もともと古かったが、使われなくなってからは、どんどんオンボロになった。杉板張りの壁も屋根も穴だらけで、壁の黒板と教壇と、足が一本折れて傾いた机がかろうじて学校の面影をとどめていた。
「マサル、めっけー。キョウコもめっけ!」
隠れるところもたいがい決まっているから、見つける方は造作もない。コウジはこどもたちを次々に見つけ、そのたんびに空き缶を踏んだ。
コウコとおらは、大イチョウにぴったりと体をくっつけ、鬼に見つからないよう、そろりそろり移動しながら息をころしていた。
ごつごつした幹から、ほんのわずか薄緑色の若芽がのぞいている。もう少ししたら、今は枯れ木のような大イチョウの、枝という枝から爆発したように緑の葉っぱが誕生するだろう。