【小説】 身欠きニシンと不思議の山 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

小説

【小説】 身欠きニシンと不思議の山 

2023.07.15

菊地 悦子(きくちえつこ)

 タケシが学校から帰ってくると、思ったとおり身欠きニシンの束が土間にどっかり置かれていた。こないだっから、かあちゃんが「ニシン売り、明日あたり来んでねえべか」といっていたのだ。タケシは、鼻の穴をめいっぱい開いて、くんくんと匂いをかいだ。ひと抱えもあるほどのニシンの大束からは、魚特有の生臭さが漂っている。海を知らないタケシにとって、これが海の匂いだった。

 毎年、日かげの雪もすっかりとける頃になると、村にはニシン売りがやってくる。車に山と積まれたニシンはひと束100本もあるだろうか。家々では、この時期ニシンを大量に買い、これをさらに乾燥させて天井から吊るしておき、煮物にしたり山椒と一緒に漬けたりする。ニシンがたくさんある時期は、こどもたちが山遊びのお供に時折くすねても、大人はたいがい大目に見た。

タケシは早速、太目の一本に狙いを定め、引き抜く作業にとりかかる。荒縄でぎっちり結わえてあるから、引っぱり出すにはコツがいる。細っこいのをまず抜きとり、隙間を作ってから最後に太いのを引っぱる。細っこいのはもちろん元にもどしておく。 
いくらか苦労した甲斐があり、肉が皮からはみ出して、脂でてらてらしている大物を腰に差した。硬いから長もちするし、いかにもしこしこうまそうだ。タケシは嬉しくなって、家の前の用水路をぴょんと飛び越し駆けだした。ニシンが陽を浴びて、本物の刀のようにキラキラと光った。
「タケシーぃ」と、ばあちゃんの呼ぶ声がしたが、どうせ何か小言をいわれるのだろうと、そのまま聴こえないふりをして、ゲンたちが待っている神社山へと急いだ。

 神社の石段の下では、先に来ていたゲンとミノルがニシンを振り回しチャンバラごっこをしていた。今日は村じゅうの家でニシンが買われたに違いない。
「ひぐらし山まで行ってみんべ」
 ひぐらし山はいつも遊んでいる裏山より少し遠い。ひさびさの兵糧を得て気が大きくなったせいか、三人は神社山の横道から奥へと入っていった。

 つもった落ち葉でふかふかになった林の地面を、カタクリの花が紫色に染めている。タケシとゲンとミノルは、ニシンで藪をつついてカエルを脅かしたり、新しく来た校長先生の物真似をしたり、歌ったり笑ったりしながら、にぎやかに山道を行進する。春の陽光が、生まれたての木の葉を照らし、山じゅうが薄黄緑色に萌えていた。人も草も動物も、あらゆる生き物たちが、心底上機嫌になるような午後なのだった。

 小さなこぶしを振り上げているようなわらびの群落を見つけると、ミノルは、「かあちゃんの土産に持って帰んべ」などと大人のようなことをいって摘みだしたが、さて入れるものがない。それでもひとつかみほど採って、困った挙句にシャツの中に収めた。しかし、しばらくすると、今度は腹のあたりが、ちくちくかゆくてたまらないと大騒ぎだ。ミノルはいつもこうなのだ。お調子者のおっちょこちょいと、ミノルをからかいながら歩いていると、先頭をゆくゲンが、雷神様の祠を通り過ぎたあたりで急に立ち止まった。

「しっ!」
 口に指をあて、手に持ったニシンで藪の方を指している。その先には蛇がいて、すぐそばに一匹の野ウサギがぴくりとも動かずに蹲(うずくま)っていた。蛇ににらまれたカエルとはいうが、野ウサギも恐怖で固まってしまうらしい。
 蛇が鎌首あげて野ウサギに飛びかかろうとした瞬間、ゲンがニシンの先で蛇の頭を叩いた。野ウサギは我に返ったように飛び上がり、蛇もあっという間に消えさった。

「危ねがったなぁ」
「野ウサギの恩返し、あっかもしんになぁ」
「朝起きると、ゲンの家の前に大判小判がどっさりありましたとさ」
「おれは大判小判より、甘くてうめのがいいなぁ」
 三人は、今一番何が欲しいかいい当てっこしながら、炭焼き小屋までやってきた。小屋には鍵などかかってはいないから、勝手に中に入って、やかんの水をごくごく飲んでは、ニシンをかじる。その時だった。

カーンカーンカーン メリメリメリ ドォーン
けっこうな近くから、いきなり大きな音が響いてきたのだ。
「木、伐ってんのが?」
「そんな様子、ねがったがな」
「こめら、あぶねぞって怒られっかもしんにな」
「見つかんねうちに帰んべ」
 ニシンをしゃぶりしゃぶり、三人は少しばかり不安になってきた。

カーンカーンカーン メリメリメリ ドォーン
カーンカーンカーン メリメリメリ ドォーン
すると、その音は、なぜだかどんどん近づいて来るのだ。

カーンカーンカーン メリメリメリ ドォーン
そして、ついに小屋のすぐそばにまでやってきた。

「うわぁー!」
 タケシもゲンもミノルも小屋から一目散に逃げ出すと、後ろも見ずに全速力で山を下った。死に物狂いとは、たぶんこういうことだ。神社山の石段まで戻ってくると、三人はそのままぶっ倒れた。しっかり握っていたはずの、かじりかけのニシンはいつの間にか消えている。

「あー、おっかねがった」
「あれ、なんだったんだべ。キツネだべか、タヌキだべか」
「天狗かもしんにな」
 三人はまだ震えが止まらない。
「あの蛇なぁ、山の神さまだったんじゃねえが」
 ミノルがそういうと、ゲンもタケシも口をつぐんだ。神さまという言葉を聞いて、胸のあたりを、何かにすーっとなでられたような気がした。
 しばらくして、ゲンがぽつりといった。
「誰にもいうなよ。これはおれたちだけの秘密だかんな」
 
 すっかりしょげ返り、起き上がる気力もない三人の顔を、お日さまが西に傾きながら、いつまでも照らし続けていた。