新着情報 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM - Page 10

柳津町「石生前(いしゅうまえ)遺跡」の再整理から見えてきたこと ㈡ 

長島 雄一(ながしまゆういち) 2022年8月には、同町細越地区に所在する池ノ尻遺跡から、鏡合わせの様に向かい合う一対の土偶状の装飾が付いた「人体像把手付土器(じんたいぞうとってつきどき)」( ...さらに表示

2024.03.01 奥会津を学ぶ

柳津町「石生前(いしゅうまえ)遺跡」の再整理から見えてきたこと ㈠ 

長島 雄一(ながしまゆういち) 私は2022年6月から、柳津町の依頼を受けて「土器とくらしのミュージアム~やないづ縄文館」で、同町石生地区にある石生前遺跡の追加整理作業を行っています。柳津の歴 ...さらに表示

2024.03.01 奥会津を学ぶ

【きかんぼサキ】水辺の風景

渡辺 紀子(わたなべのりこ) 「本名は水をうんと大事にする村だったんだ」懐かしそうに語る方がいた。かつて本名では江戸時代に水路の整備を整えたことで村の中を堰が巡らされ、その堰の水が暮らしには欠 ...さらに表示

焼畑の瓜(ウリ)・金山町大志

菅家 博昭(かんけひろあき)  2020年7月13日、金山町大志の中丸太一さん(昭和6年生)、澄子さん(昭和9年生)ご夫妻にかつてのカノ(焼畑)について教えていただいた。 大志から只見川を舟( ...さらに表示

2024.03.01 奥会津を学ぶ

佐々木長生先生と会津の冬

菅家 洋子(かんけようこ)  猪苗代湖の白鳥の北への旅立ちが、今年は一カ月ほど早く始まったという。ついにこの時が来てしまった。しかもこんなに早く。名残惜しい。白鳥は私にとって、とても大きな冬の ...さらに表示

「災禍の果てに」⑥⑦

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈6〉一揆(河北新聞2020,10,14)  九月の末、釜石から三陸鉄道リアス線に乗った。復興とはなにか、という問いが、窓の外にゆら ...さらに表示

紙雛を流す

井口 恵(いぐち めぐみ) 渡部勝子さん(昭和4年生 三島町) 「みんな作って流しちまうから、雛人形は持ってない。里から(お嫁に)来た人は実家から貰ってきたりするけど、昔この集落の人は雛 ...さらに表示

ソバヤキモチとカンネリボー

鈴木 サナエ(すずき さなえ)   昭和40年代後半、私は初めて「ソバヤキモチ」を見た。定かではない記憶だが、ちょうど今頃、2月の冬の時期だったと思う。20代の私は、アルバイトをしていて、隣の ...さらに表示