「遥かな尾瀬」が近くなる時・・・竜宮への道 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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「遥かな尾瀬」が近くなる時・・・竜宮への道 NEW

2026.09.15

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

 尾瀬に行こうという話が持ち上がったのは、まだ雪が残る三月頃だった。千葉組Rちゃん、Mちゃん、只見組Iちゃんに私の四人で、三人は、ずっと尾瀬に憧れてはいたものも、行くのは初めてだという。文字通り「遥かな尾瀬」ということになる。ならば、小屋は近すぎず、遠すぎずの尾瀬ヶ原の中程にある竜宮小屋に泊まることに決め、大まかなコースを思い描いて、予定を組んだ。

 7月半ばのこの日、千葉組は前日の長距離運転の疲れも寝不足も、楽しみの前にはどこ吹く風。それどころか、この両日は梅雨のど真ん中、奥会津地方は大雨予報なのだが、行かないという選択肢は誰の頭の中にもない。まるで遠足前夜の子供のように、ひたすらにRちゃんの超晴れ女の威力を信じて、笑っている。
「あの~、あそこに行くまでの沼山峠は1800メートル近くあるし、尾瀬沼だって1660メートルだから、結構な山なんですけどお~。」
 隊長を仰せつかった私のそんなつぶやきは、まったく届いていないらしい。

 御池の駐車場に着いたのはまだ朝の空気がひんやりと残る時間だった。6:30分始発のバスに乗り込む。いつもはバスの左側の席から、ブロッコリーのように盛り上がったブナの原生林を見下ろし、運転手さんが減速して説明してくれるはずが、今朝はその声がなかった。
 終点の沼山からが山歩きの本番になる。幸い案じていた雨も降っていない。よく整備された木道の脇にはオオシラビソの大木、そして白い木肌のダケカンバ、足元にはまだ芽を出したばかりのギンリョウソウやゴゼンタチバナが雨に濡れた土の中で息づいている。私は古い倒木の前で、ちょっと気取ってガイド風に倒木更新の話などをしてみる。     

 峠の頂上付近の展望台は工事中で、尾瀬沼を見渡すベンチが新しく設置されるらしい。樹が育って沼の姿が見えなくなっていたが、これで沼周辺が綺麗に見渡せるようになるだろう。ドンドン下って、鹿が入り込まないように設置された柵を通り過ぎれば、大江湿原が目の前に広がっている。
 大江湿原では足元の赤紫色のハクサンチドリ、そして湿原一面には、まばらなニッコウキスゲが点々と広がっている。鹿の食害にあう前、オレンジでうめ尽くされていたかつての景色を知る者にとってはなんとも寂しい光景なのだが、三人は「綺麗!」と声を出して喜んでいる。その素直さが嬉しい。
 大江川にかかる橋の手前に右に折れる木道があり、「ヤナギランの丘」へ寄り道をする。尾瀬沼が綺麗に見渡せるこの場所は、尾瀬を開山した平野長蔵氏や尾瀬の自然保護運動の先駆者だった平野長英氏はじめ平野家の一族が眠っている。早咲きのヤナギランが今年も静かにお墓を見守っていた。 
 長蔵小屋付近の売店でコーヒーと遅めの朝食を摂り、ビジターセンターへ。ここは、尾瀬沼周辺の動植物はもちろん、沼や湿原、山などの成り立ちや自然環境等々を展示や映像によって詳しく学べて有難い。Mちゃんは早速、歩荷さんの荷物を担ぐ体験に挑戦している。

 ふと耳に残ったのは、センターの若い職員さんの、「沼尻」を「ヌマジリ」という言い方。私たちは「ヌシリ」と言っていたが、いつの間にか、地名もこうして変えられてしまうのだろうか。
 大江湿原のほうに少し引き返し、尾瀬沼北岸、燧ケ岳の裾野のほぼ平坦で広い木道を歩く。大雨予報のせいか、人影もいつになくまばらなのは嬉しい。周りはオオシラビソ、コメツガ等の針葉樹やダケカンバが覆い、浅湖湿原など所々に出現する小さな湿原のコバギボウシ、ミツガシワ等を楽しんでいるうちに沼尻休憩所に着き、大休止。ここは文字通りの沼のお尻。ここから沼の水は沼尻川となって、尾瀬ヶ原に流れ出す。ナデッ窪と呼ばれる燧ケ岳の急登の登山口の一つがあり、山も湿原も沼も見渡せて、広々として気持ちのいい場所だ。

沼尻休憩所

 ここから尾瀬ヶ原までは、ほぼ200メートル下ることになる。白砂乗越とも呼ばれる白砂峠は、ゴツゴツした岩の急斜面のアップダウンがあり、今回のコースの一番の難所だ。周囲は樹林帯に囲まれて、見晴らしもよくないけれど、雨上がりのブナやダケカンバの緑がキラキラと輝いて美しく、ずいぶんと下のほうから聴こえる沼尻川の清流の沢音がなんとも心地よい。滑りそうな足元を注意深く下るうち、針葉樹林がいつの間にか無くなって、広葉樹林となり、イヨドマリ沢や小さな沢をいくつか越えると、木道が現れ、緩やかな下りとなる。右手に燧ケ岳の見晴登山口を見送り、ほどなく見晴の小屋群が見えてくると胸の奥がふっと軽くなる。ここは、十字路になっていて、真っすぐ進めば、私たちが目指す竜宮を通って尾瀬ヶ原を縦断することになる。
 「尾瀬だ、・・・尾瀬ヶ原だ・・・」と逸る心を抑えながら、ここでまずは遅めの昼食をとる。ランチを提供してくれる山小屋は2軒あって、片や伝統的なソバ、ウドン等、片や山小屋とは思えない洋風のメニューが並んでいる。そろって食いしん坊でこだわりを持つ3人は迷いながらそれぞれの一皿を選び、私は「ロコモコ」」というのを注文した。

 午後になって、いよいよ尾瀬の核心部へと入っていく。木道沿いの足元にはモウセンゴケの赤や小さな木のヒメシャクナゲが続いている。Iちゃんが突然
「何、これ?」
 と大きな声で指さしている。花が終わったタテヤマリンドウだったが、なるほどちょっとひょうきんな形が面白い。ここのアザミが「オゼヌマアザミ」なのだろうか、紅紫色が鮮やかに美しい。盛り上がって超える六兵衛堀や蛇行する沼尻川に沿ってシラカバ等の拠水林が続いている。「六兵衛堀」の名前からも、かつてここを人々が行き交い、ツキノワグマの狩猟やイワナ等の漁労の大事な生活の場だったことをうかがい知ることができる。
 見晴を出てほぼ一時間、沼尻川を越えると群馬県になり、ここだけが樹林に囲まれた今日の宿の竜宮小屋に着く。荷物を預け、池塘の多い木道を竜宮の不思議に向かう。左に折れ、進んでいくと、湿原を流れる水が伏流水となり地下に吸い込まれていく。そして右へ数十メートル離れた深い池塘からその水が湧き出てくる。

尾瀬ヶ原 竜宮の伏流水が湧き出ている場所

 
昔、NHKがその迷路のように入り乱れた地下に、カメラをいれて撮影した番組があったと記憶するが、澄んだ水の奥に広がる世界は正に竜宮城のように、なんとも神秘的だった。近くの池塘にたくさんの白いヒツジグサが見ごろだった。尾瀬にだけ咲くオゼコウホネも、と欲張ったが見つからず、夕刻になったので小屋に引き返した。
 小屋はやはり、閑散としていて、私達にとっては何よりの贅沢だ。今どきの小屋は浄化設備がしっかり整っているのだろう、シャンプーも歯磨き粉も使え、風呂の水もたっぷりで気持ちがいい。賑やかに夕食を終え、持参のインナーシーツを敷いて、眠りについた。

 夜半、強い風雨の音で目が覚めた。木々が揺れ、雨がたたきつける。その後、あれほど吹き荒れた風雨が徐々に回復し、六時頃になると、すぐ近くの木道を急ぎ足で通っていく人さえいる。玄関先で登山客にアドバイスをしていた小屋の先代に帰りのコースを相談したところ、裏燧の林道は沢の増水が懸念され、来た道を戻り、沼の南岸を歩くことにした。 
 小屋を出発する頃には雨もやみ、燧ケ岳を眺めながら歩き始めた。そして下田代中ほどの木道と木道の間に、見慣れない赤黒い花を見つけた。なかなか名前が思い出せない。
「クロバナロウゲ・・・」
以前は沼近くにも咲いていたというが今はほとんど見かけないという。私も初めて出会えたことに胸がドキドキと高鳴った。

クロバナロウゲ

 見晴の小屋群を抜け、来た道を引き返すので気が緩んだのか、白砂峠の途中でRちゃんが、見事に転んでしまった。一瞬焦ったが、Rちゃんは何事もなかったように身軽に立ち上がり、三人を安心させた。
 峠を越え、沼尻から沼の南岸を行く。沼尻川の橋の上の蛇に、ぎょっとしたが、少し歩いた先の小沼湿原にはアキアカネが長閑に飛んでいた。湿原を過ぎると、左手にずっと沼を眺めながら、アップダウンの多い登山道が続くが、昔に比べると、木道も整備され、歩き易くなっている。雨が降り出し、歩くのにも飽いた頃に三平峠下の休憩所に着き、昼食となる。ここのランチは表参道のお店とコラボしているらしく、ボロネーゼ、ピザ等々、ちょっと形を変えて、おしゃれで、山の上とは思えない味をシェアして食べた。ここから先は、木道も広く、ほぼ平坦なので安心と思った矢先、Rちゃんがまた華やかに転んだが、今回も無事だった。木道の途中にベンチが設えてあり、ここから見る燧ケ岳は、沼を前景にとても美しいポイントなのだが、今日は顔を隠している。
沼を堪能し、大江湿原に戻ると、昨日よりニッコウキスゲのオレンジが色濃く見えた。同じコースを歩いても、尾瀬の自然は刻一刻と装いを変えて迎えてくれる。雨に濡れた緑は息づくように輝き、負け惜しみでなく、「雨もまたよし」の尾瀬だった。
そして・・・
三人にとっての「遥かな尾瀬」が「身近な尾瀬」に代わっていく、その瞬間に出会えたことが私には何より嬉しかった。