ふるさと | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

ふるさと NEW

2025.06.01

渡部 和(わたなべかず)

 今年の小満は5月21日だった。「陽気盛んにして万物しだいに長じて満つる」という二十四節気の小満だが、今年は肌寒くはっきりしない空の続いたあとに、まさに真夏のような強い日差しの降り注ぐ一日となった。
 毎年、小満を迎える頃になると懐かしい気持ちになる。昭和村でからむし焼きが行われるからだ。
 夕刻、茅を敷きつめたからむし畑に火をつける。焼くことによってからむしの根に刺激を与え発芽を促すとともに、害虫を駆除し、焼いた灰は肥料となる。
 からむし焼きを夕方行うのは、火がよく見えるからだ。日中の明るい日差しの中では火の回りが見えにくく、万が一の時に対処が遅れかねない。そして火は必ず風下からつける。

 私たち、からむし織体験生(織姫)1期生が入村したのは、このからむし焼きの終わったあとだったが、ひとつの畑だけ、私たちのために残されていた。茅に火がつけられると、みるみるうちにまっ黒な焼け跡が広がっていく。追いかけるように水を撒く。焼いたあとは茅で畑を囲い、7月の刈り取りまで静かにからむしの成長を見守る。
 今も村を訪ねた折、その小さな畑でからむしが育てられているのを見ると、あの日の光景がよみがえる。近年は、からむし焼きに間に合うよう、小満より早い時期に体験生事業が始まっているようだ。

 今年もゴールデンウィークの終わる頃、親しい同期生が集まった。織姫を修了してから31年たつが、ほぼ毎年、この時期に県内外の仲間たちと昭和村を訪ねている。
 5月はじめの昭和村の山々は、まだ雪を抱いていた。雪解け水が勢いよく流れる野尻川に、やわらかい緑が明るい影を揺らしている。
「今年も同級会かぁ、おかえり」と懐かしい笑顔に迎えられる嬉しさ。変わらない温かさに包まれ、ああ帰ってきた、とほっとする。

 織姫1期生当時、最年長だった私は35歳、一番若かった人は二十歳になったばかりだった。年齢も出身地も育ってきた環境も違う、しかも共に過ごしたのは一年にも満たなかったのに、こんなに長くつきあい続けてこられたのは、昭和村で暮らした時間が誰にとってもかけがえのない宝になっているからだろう。

 夜は会津若松の郷土料理屋でゆっくりおしゃべりした。からむしを取り巻く様々な変化に31年という時間の長さを思いつつ、話題はかつてお世話になった村の方々との思い出に移っていく。
「サトばあちゃん」「トウばあちゃん」と呼んでいたからむし織の先生が「ここで漬けた梅が一番うまいんだよ」と作業の手を休め、カリカリと甘酸っぱい梅漬けを仕込んでくれたこと。あぐらをかいて糸を績んでいる私の膝をぴしゃりと叩き、「織姫さんがそんな恰好して」と叱られたこと。訪ねていくと、決まって「今日は泊まってけ」と言われたこと。
 帰り際、店の人に「来年もまた、さつき会やってくださいね」と言われ、思わず顔を見合わせた。5月なのでそう言ったのだろうが、それは昭和村の姉さまたちが活動していた会の名前だった。

 帰宅後、昭和村の動画を見た。トウばあちゃん、サトばあちゃんが並んで座っている。
「1期生からね、あれから20年ですよ。夢のようだ」と話すサトばあちゃんは、もういない。懐かしくて、ありがたくて、涙がとまらなかった。