渡部 和(わたなべかず)

3月半ば、大雪のためひと月近く運休していた只見線が、会津川口駅まで再開した。それより早く磐越西線も再開していたので、思い切って東京へ行くことにした。目的は東京ステーションギャラリーで開催中の展覧会だ。布や紙を使って身近なものを表現した宮脇綾子の作品が公開されるというので、ぜひとも実物を見たかった。
最寄りの会津宮下駅は去年から無人駅となり、特産の桐で作られたテーブルと椅子が置かれている。ふと見ると、柱に掛かっていた丸い時計がない。一緒に列車を待っていた女性が「壊れても直す人がいないから持ってったんだべ」と笑った。
只見線は山の中を縫って走る。線路脇は雪が壁となって連なり、壁から突き出た枝がビシビシと車体を叩く。いくつものトンネルを越えると、視界がぱっと開け、広々とした雪原が現れた。雪解けの進む田にハクチョウの群れが見える。日差しに輝く川をカモの一行が泳いでいる。
遠くの藪の中から突然、大きな鳥が躍り出た。尾が長いので、たぶん、キジの雄だろう。何があったのか、驚いたように雪の中に立ちすくんでいる。キジは見かけてもすぐ姿を隠してしまうので、こんなにはっきりと見るのは初めてだ。
雪に埋もれたいくつもの墓がある。そのひとつのてっぺんに、立派な鳥が一羽。ワシかタカか、猛禽類の仲間だろう。餌となる小さな動物を探しているのか、辺りをゆっくり見回している。雪解けと共に、様々な生きものが一斉に活動を始めていた。
久しぶりに車窓からのんびりと景色を眺め、珍しい野鳥たちにも遇えて、胸躍る旅のはじまりとなった。
展覧会は、平日にもかかわらず長い行列ができていて驚いた。入場するまで1時間近く待ったが、一人の気楽さで心ゆくまで作品世界を味わうことができた。展覧会を見るためだけに東京へ出かけるのは贅沢だなと迷ったが、やはり来てよかった。様々な幸運に恵まれて、自分自身を豊かにする時間をもてたことに感謝した。
会場を出るとまた人混みだ。東京はなんと人の多いところだろう。人だけでなく、目に耳に飛び込んでくる情報量が多すぎてへとへとになり、東京駅から外に出ることなく東京を後にした。
生まれたところであり、長く暮らした東京が、最近は行くとすぐ疲れてしまうようになった。映画を観たり大きな書店に寄ったり、以前は東京ならではの楽しみもあったのだが、歳をとったからだろうか、とてもそこまでの余裕がない。私の馴染んだ街とは変わってしまったのか、私が変わったのか。きっと両方だろう。
今回は郡山に一泊した。翌朝、磐越西線の窓からどっしりと立つ磐梯山を仰ぎながら、ほっとしていることに気づく。会津若松駅のホームで聞く誘導サインの音が、以前と変わったようだ。あの鳥のさえずりが「デテイケ、出て行け」と聞こえて仕方なかったが、今はそんなふうには聞こえない。変わったのは私のほうだろうか。
会津宮下駅には軽トラで夫が待っていた。たった一日なのに、只見川のほとりは雪解けが進み、木々の根開きが広がっている。奥会津に来て30年たつ。いつのまにか「帰ってきた」と感じるようになっていた。