鈴木 サナエ(すずきさなえ)
1月19日、去年に引き続き、今年もまた、只見公民館において「おぜしかプロジェクト」による鹿の皮を使って財布等を作るワークショップが開催された。この会を主宰しているのは尾瀬に魅せられ、2008年にはるばる九州の福岡からやって来て、今は南会津の伊南地区に住んでいる小山抄子さんが、今日の講師を務める。そしてまた、このワークショップをお世話しているのは、奥会津の山が好きで、埼玉から只見へ移住し、今では地元の人たちより流暢な只見弁を使いこなす黒田晶子さんだ。
黄色、緑、赤、青、黒等々、カラフルに色付けされた鹿の皮は艶があって、とても柔らかい。その鹿皮をはじめ、金づちやマット、糸、定規などと言った多種多様な道具類が整然と収納されている箱類が、小山さんの車から降ろされる。受付を済ませ、全員揃ったところで、黒田さんから小山さんのごく簡単な紹介があったが、みな、早く作りたくて、あまり聞いていない。
前もって予約しておいたグッズを受け取り、制作していく。去年は圧倒的に携帯用ポーチが多かったが、今年はがま口の財布を作る人が多い。他に折りたたみ財布、保険証入れなど、思い思いの製品をそれぞれが作り始める。


ちなみに私は去年から赤い大きなバックを手掛けているが、会津木綿の裏地を付けたいこともあって、かなり苦戦している。金づちでドンドンと叩いて鹿皮に孔を開け、太い針と糸で縫い合わせる。鋲を打ち付ける人もいれば、金具をとじ付ける人もいる。真剣な顔で静まり返ったかと思うと、突然、笑い声が爆発する。去年からの経験者は割とスムーズに運び、初心者には小山さんが丁寧に教えている。
半日で終わって、作品に満足して笑顔で帰る人もいれば、昼食持参で午後まで作業する人もいる。私の赤いバックはやっと目途がついてホッとしているが、出来上がるのは、来年の3回目まで持ち越しだ。

小山さんが働いていた、尾瀬国立公園の桧枝岐から入る大江湿原は、かつて、見事なうすいオレンジ色のニッコウキスゲの群落が広がっていた。私たちはその季節にはいつも、湿原のほぼ中央部分に設えられた木道を、小躍りするような気分で歩いていた。
そのニッコウキスゲがいつの間にか大きく減っていった。大江湿原だけでなく、尾瀬ヶ原や他の湿原でも、二ホンジカによる食害と踏み荒らしなどによって、ミズバショウや他の貴重な高山植物が荒らされ、生態系が大きく壊れ始めていった。それに呼応して鹿の様々な調査が行われ、対策として、湿原にシカが入るのを防ぐ柵が設置され、また、増えすぎた多くのシカが銃や罠によって捕獲された。その結果、当然、鹿の数は減り、湿原は徐々に回復し、ニッコウキスゲも増えてきている。
しかし、尾瀬で働き、尾瀬を丸ごと愛し、動植物も大好きな小山さんは、尾瀬の植生が回復しつつあるからと言って、捕獲され、殺され、土に埋められる鹿から目を背けることができなかったのだと思う。殺される現実を見てしまった小山さんは、いつの間にか大好きな尾瀬で働くことも辞め、「おぜしかプロジェクト」を立ち上げ、真っ向から、鹿と向き会うことを始めた。
もともと手先が器用な小山さんの作品はとても完成度が高い。手が込んだバックやシューズ等は、外注して販売している。立ち上げてから数年たった今では、鹿を解体し、皮から肉や脂をとって塩漬けにする等の下処理もできるのだという。そしてその過程の中で出会った多くの人との繋がりをとても大事にしている。
去年の4月にはその仲間たちが集結し「鹿フェス」を只見で開催してくれた。いつも参加のアイヌの版画家、縄文土器の製作者、ジャンベ等の皮の楽器の製作者、小山さんの子分のプロカメラマン、ピエロック一座という世にも不思議なサーカス団、数え上げたらきりがないほどの多彩な人たちが北から南から集まった。残念ながら、今の福島県の野生動物の肉は原発事故の影響で、今だに食べることができないが、いつかジビエ料理を、と小山さんの頭の中にはあるに違いない。料理上手の彼女の鹿肉料理が楽しみだ。
繋がりの末端には私の所属する「ぶないろくらぶ」も参加して草木染の製品を販売したり、「山響の家」としては山菜おこわを販売できた。たった一人で試みた「鹿フェス」が今では実に多くの人達の協力を得て、大きく広がりを見せている。
小山さんと知り合って10数年になるが、彼女の口から「自然保護」等の言葉は一度も聞いたことがない。けれどあえて口に出さなくても、小山さんの周りには、自然を大事にすることが当たり前で、気取らずに営みの中に在る人ばかりが集い、楽しんでいる。
「鹿の命と向き合う」・・・ 私には、何一つとっても到底出来ない事ばかりだが、それを真っすぐに実践している人がすぐ近くに居ることを、とても有難く思っている