菅家 洋子(かんけようこ)
家の後ろにある山の神さまのお宮、今日までに二度雪下ろしをした(12月30日と1月12日)。春までに、あともう一回くらい下ろすことになるかなと思う。
お宮は斜面を上った先にあって、まずそこまで行くのにひと苦労。ひざ上どころか腰のあたりまである雪を漕いで、前に進んで行かなくてはいけない。雪道で先頭を歩いて道をつける人のことを「サキコギ」と呼ぶ。非常に体力がいる役割なので、例えばテッポウブチ(猟師)も、ひとりに負担がかからないよう、サキコギは順番に交代する。
先にヒロアキさん(夫)が歩く。斜面をゆるやかにして歩きやすくするために、蛇行して進む。急がば回れ。登りきる数メートル手前で交代した。もう道幅もあまりないので、まっすぐ頂上を目指す。一歩を踏み出すのがあまりに大変で、あっけにとられる。だって目の前には腰の高さまでの雪があって、次の一歩はどこに踏み出せばいいのか、その場所がないのだ。持っているスコップで、いくらか雪を掻いて、足場を作る。ヨイショと足を持ち上げて、一歩。カンジキを履いていても、ズズズ、と沈む。そしてまた目の前には腰の高さの雪。ほとんど前に進んでいないような感じがする。掻いて、踏み出して、沈んで、掻いて、踏み出して、沈んで。たった数メートルが冗談のように遠い。息を切らして頂上に着くと、奥の方にどっしり雪をかぶったお宮が見える。こりゃ大変だ…と少し怯む。最後の直線100メートルで、心の準備をする。

屋根に上がるためのハシゴは、お宮の裏の杉の木に一年中立てかけてある。コウシキベラで屋根の雪を少し落としてハシゴを立てかけ、まずはヒロアキさんが上がる。「気をつけて」と声をかける。「危ねぇぞ」「気ぃつけろよ」と口酸っぱく声かけをしていたセイイチさん(義父92歳)は、数年前からもう屋根には上がらなくなったので、私はその役割を少し意識している。スペースができると、私も上がる。ハシゴから屋根に移るときが一番緊張する。「こわい」と思うと足がすくんでしまうので、「こわくないこわくない」と思うようにする。無事に上がったら、さぁやるぞと目の前の雪をどんどん下に投げていく。「あんまり端っこさ行くな」というのも、セイイチさんに何度も言われたこと。夢中になっていると、だんだんこわさがなくなってくる。「こわくない」が勝ってきたら、「こわい」を思い出す。

全部きれいに落とせばいいかといえばそうではなく、ツルツルのトタン屋根を出してしまうと足場をなくしてしまうので、雪は残して搔かなくてはいけない。グシだけは出しておく。てっぺんの雪を切り離しておくと、晴天が続いて融雪が進んだとき、自然に滑り落ちてくれる。
二度目はより念入りに、二時間かけて雪下ろしをした。すっきり軽くなったお宮を見て、あーよかった、とほっとする。山の神さまのお宮を、いつまで維持できるかは分からない。解体の話は、毎年持ち上がる。山の神さまの存在とともに、この雪下ろしの仕事がなくなってしまうことも、さみしいと思っている自分がいることに気づく。いつか聞いた言葉や、いつか見た空の色、屋根の上で食べたみかんのおいしかったこと。その度に思い出すものがある。