無用の用 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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無用の用 NEW

2024.10.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

伊藤紀子さん(昭和15年生 柳津町)

圓蔵寺が紅葉で色づく文化の日、普段は入れない庫裡で開催されたお茶会にお邪魔させていただいた。
大日本茶道学会の伊藤紀子さんが率いる社中の、おもてなしの席である。
長年続けてきたお茶会だったが、どうやら今回が最後になるようだ。

「他人には頼めないものを習え」と、若い時に声をかけられたことがきっかけで、無用の用と思われたお茶の世界に入った。
それは小難しい礼儀作法に縛られたものではなく、ただただ近所のお宅の一室でお茶を点てていただく、入りやすいものだった。
紀子さんが指導する大日本茶道学会は、先人の茶道の精神性と技を、近代的な環境に照らし合わせて研究・公開していくことで、後世に伝えていくことを理念としている。
ひとつひとつの意味を大切にしながら所作を行うことで、先人の伝えようとした心の原点を自分のものとし、実践できるようになることが目標だと言う。

心地よい秋の日差しが届く庫裡に、着物姿の女性が三々五々集まってくる。
窓の外に広がる紅葉に重なるようなお茶菓子“錦秋”の甘みに満たされ、薄茶のこっくりとした渋みが口の中に広がる。
『和敬清寂』のお軸と、ぽっと佇む西王母と照葉など秋の草花を挿したお花。
あぁ、美味しい。あぁ、幸せ。
隣になった方とふと笑顔が重なり、その場に同席した全員と、ほっこりとした満たされた心が通う感覚があった。

茶席には、複雑で、少し堅苦しい“決まり事”がたくさんある。
なんで?どうして?理屈っぽい自分は、その作法の意味を追求したくなる。
「作法や型には、基本的な芯があるの。例えば、作法に沿って茶釜から柄杓でお湯を掬う手順を踏むと、お湯が飲みやすい、丁度よい塩梅の温度になるのよ」
そこには、理屈に適った究極の“美”のバランスがあるのだ。

現在は、茶道のお作法を学ぶにも手順を詳細に解説した教科書的なものがある。
しかしそのマニュアルは、正解でも、美徳なのでもないと紀子さんは言う。
「基本の型をなぞることで、心が入っていくの。習うより慣れろで、自然と人間的にも成長できるようになっていくわ」
自分は完全なものではないから、求めるものがある。
時に何を求めているのかわからなくなることもあるし、思いやりをもって我慢することもある。
それが“心”で、所作を繰り返す中で向き合い、出会うものなのだ。

「お茶会はみんなで作るもの。お客様からの思いやりもとっても大事。点てる人といただく人が一体になることが、良いお茶会ね。良い客になり、良い亭主になりたいから、努力を続けるの」
来てくれたお客様へも、裏でお手伝いしてくれる生徒さんへも、場所にもお道具にも、その時と空気へも感謝をする。

「動けば、始まるのよ」
頭でっかちな自分は、理由や動機を探し、あれやこれやと考えないとなかなか始められない傾向がある。
四季の移ろいを感じ、目の前の作法に集中し、居合わせた方々とのその瞬間を全身で楽しむ。
時間や情報に追われる現代だからこそ、目の前のことに、五感を集中して没頭できる時間が、大事なのかもしれない。

※この記事は、2023年11月に取材したものです。