福島県河沼郡柳津町「池ノ尻(いけのじり)遺跡」出土
連載第二回
柳津町文化財専門アドバイザー 長島雄一
【人体像把手付土器の類例】
池ノ尻遺跡の人体像把手付土器のように、人体表現が明瞭な人体像(土偶)状の貼り付けが、大型(推定高約80㎝)に属する樽型土器口縁部の対称位置に2体一対で施されている例は極めて稀です。それでも、大きさは異なるものの、人面や人体表現が似た、いくつかの類例が福島県および近県に存在します。
まず会津地方の例として、池ノ尻遺跡から3.7㎞ほど南に離れた柳津町石生前(いしゅうまえ)遺跡でも池ノ尻例と表現が酷似した同時期の人面把手が発見されており、その他に中部高地(長野県辻屋遺跡など)の例とよく似た大型の人面把手も出土しています。この発見によって石生前遺跡と池ノ尻遺跡は互いに関係性をもって機能していたムラであった可能性が高くなりました。また金山町堂平遺跡でも頭部が円筒状となった人面付き突起が確認されています。これら柳津町・金山町の資料は新潟県阿賀町(原・キンカ杉遺跡)などの類例と共に只見川~阿賀野川流域の遺跡間交流を推定させるものです。
福島県中通り地方の例として郡山市妙音寺遺跡の277号土坑(どこう)から出土した土器をあげましょう。
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https://www.bunka-manabi.or.jp/history/myoonji.html
これも池ノ尻例同様、口縁部の対称位置に人体状把手を配置する土器ですが、池ノ尻例ほど忠実な人体表現はとらず簡略化されています。さらに須賀川市塚越遺跡例は一体単独で口縁部外面に内側を向いた人体像が取り付けられ、器体に抱き着くように腕・手・足の表現が観察されます。この土器のベースになっている文様は新潟方面の流れをくむものです。
県外の例としては新潟県阿賀町原遺跡から池ノ尻例に酷似した手・指と腕輪状の表現をもつ資料、同町キンカ杉遺跡でも口縁部上端に付く人面突起が発見されています。
栃木県大田原市岩舟台(いわふねだい)遺跡や日光市湯西川の仲内遺跡でも頭頂部に渦巻文を施した例が出土しています。このうち仲内例は南会津町西部(旧舘岩村(たていわむら)・旧伊南村(いなむら)など)から鱒沢川等をさかのぼって日光市湯西川に達するルート(後の安ケ森峠(やすがもりとうげ)など)があったことを推定させる興味深い資料です。またこのルートは逆に栃木県北部の高原山(たかはらやま)(黒曜石(こくようせき)の産地)から奥会津西部に至る最短ルートでもあります。
以上の様な類例は、いずれも池ノ尻遺跡の例と同様、縄文中期中葉(大木8a式頃)に属する資料です。
*池ノ尻遺跡から出土した人体像把手付土器(土偶付土器)は、やないづ縄文館で展示・公開されています。また精細な画像は、以下から閲覧することができます。
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https://openokurairi.net/s/open_okurairi/item/1335#lg=1&slide=0