渡部 和(わたなべかず)
今年の春、夫の母が98歳で他界した。20年近く一緒に暮らし、家で看取ったこともあってか、半年たった今でも時折、声が聞こえるような気がする。今年の夏は格別の暑さだったので、暑さに弱い義母にはさぞ堪えたことだろうと、新盆に集まった家族はどこかほっとしたように言った。
いつの年だったか、畑の土が白くなるほど日照りが続いた。炎天下、畑に上っていく義母のあとをそっとついていくと、義母は畑の真ん中で立ち止まり、ぐいと腰を伸ばして天を仰いだ。そして突然、声を張り上げた。
「あーめ、雨!なんで降らねえんだ!降る気ねえのか!降ったらよかんべ!あーめ、雨!」
晴れた朝には「お天道様、ありがとうございます」と、深々と頭を垂れて手を合わせているのに、雨にはずいぶん態度が違うものだと可笑しかった。
義母が入院のためひと月近く留守にする前日、一緒に山の畑に行った。
「ほーら、これが和さんだ。オレはしばらく来らんにいから、この人が代わりにおめだちに会いに来るからな、よろしくなあ」
義母は野菜の顔を一つひとつ見ながら声をかけてゆく。つられて私も思わず「よろしくお願いします」と野菜たちに頭を下げていた。
義母は畑仕事が好きだった。毎日、「野菜帳」と書いたノートにその日の仕事を記録していた。そのノートを見れば、いつ何の種を蒔いたか、苗を植えたか、育ち具合はどうか、収穫量はどれほどか、天候の変化もわかる。行事の際の料理や、初物の南瓜を煮た、漬物を仕込んだなど、季節ごとの食の仕事も書いていた。「山に出て働くことがいちばん楽しい」という言葉を読むと、毎朝「山サ行ってくる」とシニアカーに乗って畑に出かけていった生き生きとした義母の顔を思い出す。
料理が苦手だった私が、季節の野菜を中心とした日々の食卓や、ハレの日の料理も調えられるようになったのは、褒め上手だった義母のおかげだ。義母の畑は夫が受け継いで、今年も美味しい野菜をたくさん育ててくれた。うまく料理できると、おかあさんに食べてもらいたかったな、と思う。