鋳物会社の挑戦 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

鋳物会社の挑戦

2024.06.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

渡部哲夫さん(昭和38年生 只見町)

只見町中心地から集落を離れ、山の中を車で走ったところに、突然大規模な工場が現れる。
薄暗い工場の中は、もわっとした熱気に包まれており、大型の鋳造重機がどっしりと並んでいた。
迷路のような広大な工場内には、これが一体どこで使われるのか見当もつかない鉄の部品がいたるところに整然と並び、どこか圧倒されるような重厚感がある。
株式会社会津工場は、Hプロセス工法を得意とした金型製作から切削加工までを一括して、主に自動車部品などを生産する鋳造会社だ。
現在只見町と隣の南会津町南郷の2か所に工場があり、従業員のうち8割が只見、2割が南郷、それにインドネシアからの技能実習生を迎えている。
只見町最大規模の工場と、従業員数165名を抱える大きな会社だ。

「金型作ってるなら、ジンギスカン鍋も作れるよね?削ってみる?焼けるんじゃない?」
長年金型製造を担当していた渡部哲夫さんに、ふとしたところから今までにない分野の提案が持ち掛けられた。
鋳物は、砂を固めて作った鋳型(金型)に溶けた鉄を流し込み、凝固、冷却して完成する。
薄肉、高精度の製法を得意とする会津工場で、できないことはない。
これまでの自動車部品を中心とした鋳造技術から、“会炉”(あいろ)というオリジナルブランドの調理器具という新たな挑戦を始めることになった。
鋳物の特性としては、熱伝導が良いこと、蓄熱性があること、遠赤外線効果で食材の旨味を引き出すこと。
会炉シリーズは一人用の小さいサイズが中心となっており、持ってみると意外と重い。
「既製品(主力の金属部品)の試作型サイズに収まる最大の大きさが、これだったんだよ。余計なコストはかけられないから、あるものを利用して、作れるものを作った」
始めは自社の得意技法で薄肉のものを作ったが、美味しい肉を焼くためには6㎜の厚みに落ち着いた。だから、重い。

「小さい頃は、マトンしか食べられなかった。安くて、3000円くらいでいっぱい買えるから。田植えやお盆で人が集まるときのご馳走だったよ」
只見町内には“味付けマトン”の販売所を所々で見かけられ、只見町の名物にもなっている。
戦後の食糧難時代に不足していたタンパク源を確保するため、当時各家で飼っていた綿羊を食肉加工したものが始まりで、戦後開発が進んだ只見川流域電源開発の田子倉ダムで働いていた人達の栄養源として広がっていった。
「じいちゃんは、戦時中なんでもバラして食べたって話してた。俺が子供の頃、じいちゃんが心配になるくらいマトンを食べてたのを、覚えてるよ」
哲夫さんにとっても、親族が集まる特別な日に、みんなで大きな鉄板を囲んでマトンを食べるのは最高の楽しみだったようだ。

会炉シリーズは3年前から挑戦を始めた、まだまだ実験段階の新しい試みだ。
製品計画、図面作成から金型おこし、広報活動、販促イベント出展まで、哲夫さんが中心となって社員の協力を仰ぎながら試行錯誤で製品開発に乗り出している。
長年培ってきた高度な鋳造技術から生まれる会炉製品には、鋳物会社だからこそできる絶対的な品質への誇りがあり、現在新たにダッチオーブンを展開しようと準備を進めている。

自動車部品の鋳物となると、私たちの普段の生活では直接接点がなく、少しイメージがしにくい。
ただ“ジンギスカン鍋”という地元只見町の食文化に根付いたもので入ってくると、町を支える大きな会社が、少し身近に感じられる。
奥会津を支える会社の挑戦が、奥会津の文化と繋がり、暮らしを豊かに美味しく彩る。