土に還る経木 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

土に還る経木

2024.06.01

井口 恵(いぐちめぐみ)

目黒道人さん(昭和48年生 只見町)

肉や魚など、プラスチック包装材が普及する前まで一般的に食材を包むのに使われていた、木を紙のように薄く削ったのものが『経木』だ。
紙が貴重だった時代に、薄く削った木にお経を書いていたところから由来する。

ガッシャン ガッシャン ガッシャン ・・・
大きな重たそうな機械が一定のリズムで動き、アカマツのふわっと爽やかな木の香りが立ち込める。
薄く挽かれた経木は、木目がキラキラと浮き上がっている。
経木は水分を十分に含んだ生木を、自動経木機で厚さ0.18㎜ほどに削り、その後に乾燥をさせる。
抗菌性、調湿効果の高い、奥会津に自生するアカマツなどの針葉樹が原料だ。

只見町に釣りや山菜採りなどよく遊びに来る友人から、山の中に捨てられるプラスチックごみの代わりに経木を提案されたことが、道人さんの興味のきっかけとなった。
昭和30年代中頃から発砲スチロール、ビニール袋やラップなどのプラスチック包装材が普及し始めた途端に、経木は暮らしの中から姿を消していった。
かつては専門店で量り売りをしていた食品も、郊外の大型スーパーなどで計量済みパックに詰められて店頭に並ぶようになっていき、最盛期には全国に800軒以上もの経木工場があったが、現在では十数軒がかろうじて残っている状態だ。
しかし、道人さんは経木について調べるほどに、その縮小し続ける斜陽感に反して将来性を見出し、確信と希望を得たという。
「辞める工場はあっても新規参入がほぼない。作れるところが限られているからこそ、入り込む余地がある。環境問題への意識も、確実に高まっている」
経木製造に関心を寄せ始めた2020年からレジ袋が有料化し、社会全体でプラスチックやビニールの使用にブレーキがかかる風潮だった。
経木生産をしている工場を訪ねたり、情報収集をしている過程で、運命のようなご縁から、すでに製造を中止した自動経木機を譲り受けることとなり、生産が始まった。
「10人が10人いいねと言ってくれる。みんなが経木を使っている姿が、見える!」
道人さんは、自然にも人にも優しい経木の将来性を、力強く断言する。

道人さんは、只見町で父から引き継いだ光学機器、自動車部品の組み立て工場を経営している。
そして、味付けマトンケバブの販売と駅前でのカフェ営業など、ご当地グルメの仕掛け人でもある。
只見町議員、町おこしやイベント企画など、多方面で活動をする自称“好事家”だ。
経木の話を聞いている最中も、次から次に温めているアイデアがどんどん膨らんでいく。
なんだか、ワクワクする。道人さんの好奇心が、ものすごい勢いで流れ込んでくる。

「また始まったよ…」
道人さんが確信を持った経木の可能性について、熱く社員に向けてプレゼンをしたときも、度々の奇想天外アイデアに、一同ポカーンだったそうだ。
ただ、慣れているのか、そんな道人さんを呆れながらも、社員のみんなは温かい目で見守る。
ちょっと無茶して無邪気に突き進む道人さんはどこか放っておけなくて、みんなから愛されて支えられていることがわかる。

「只見町は、圧倒的な田舎」
一番近いコンビニ、総合病院までは共に1時間かかる。
「ここを越える田舎なんて、なかなかないと思う。山も雪も、この自然環境があることが、価値になる。この地域の特異点だよ」
流通手段が限られていた時代は、モノも情報も不便があったかもしれないが、今はどこにいてもあまり変わらない。
平均化され、どこに行っても同じ顔をしている地域が増える中、他とは異なる“違い”が、貴重になってくると道人さんは感じている。
「この“豊かな自然”というアイデンティティが強くなっていく方が、人生豊かになっていく気がするんだよね」

プラスチックごみ問題が強く意識される近年、奥会津の自然から生まれる経木は、そのまま土に還る。
小さく力強く始まった経木が、人と自然の健康的で持続可能な関係の懸け橋となるのかもしれない。