奥会津の先輩 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

奥会津の先輩

2024.06.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

五十嵐望さん(平成18年生 三島町)

俺らこんな村いやだ
俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ
東京へ出だなら銭こあ貯めで
東京でべこ(牛)買うだ…がっ!
        吉幾三 「俺ら東京さ行くだ」より

笑いを誘ってか、一緒に乗っていた通学バスの中で望(愛を込めて、以下敬称略)が度々歌ってくれた。
私が三島町に来た2017年、1年間小学6年生の望と同じバスに乗って通学をしていた。
バスの送り迎えの際は、いつも必ずおじいちゃんが家から出て、バスが見えなくなるまで見送っていてくれた。
「じいに教わったルートで、山の中を駆け回ってた。虫捕まえたり、たぬき追いかけたり」
集落内に一緒に遊ぶ友達がおらず、スマホや移動手段もない望は、集落のたくさんのおじいちゃんおばあちゃんに囲まれて育ってきた。
そのためか、本能的に大人の空気を読む賢さと愛嬌のバランスが抜群で、無邪気なユーモアたっぷりの会話に、私は毎回ワクワクしていた。
突然町に来たよそ者の私にも全く警戒せず、むしろ好奇心を向けて、バスの中で町での暮らしをあれこれをたくさん教えてくれた。
車が好きで、自宅の一室にトミカ(ミニカー)タウンを築いていた望は、バスの運転手になることが夢だった。

保育所から一緒の三島町小中学校同級生は、望を入れて5人。
全校生徒40人ほどだと、みんな仲良く兄弟のように過ごしているのだろうな、と勝手に想像していた。
しかし、多感な年頃の生徒同士には、緊張感のある鋭利な関係があったという。
「今日友達でも、明日敵になることもある。誰も、何も、信用できなかった。自分の方が情報が不足していることが怖かった」
私には天真爛漫に見えていた望に、見られたくない、見られてはならない、人間関係の悩みや心の葛藤があったのだ。
そんな望は、中学生の頃は三島町を出たいと思っていたが、高校に入ってからその考えが変わったという。

「人が少ないところは、ろくなことない。規模が小さいから、だと思ってた。でも町外の高校に進学して、これまでより生徒数も規模の大きな高校でも、似たような感じでした」
周りに喜ばれる行動をしているのも、逆らうとまずい人の意に反さぬよう行動することも、小中学校での経験から、うまく立ち回る術を身につけていた。
どんなに嫌なことや理不尽があっても、簡単に他人を変えることはできない。
だから、その関係の中でストレスを感じる自分が平穏でいられるためには、自分で自分を調整していくしかない。
「自分がそうなように、周りもみんなそうなのかもしれないって、他人を受け入れられるようになった。人に期待しすぎていたところがあったけど、諦めて、なるようになるで生きている」
諦めと割り切り、必要以上に期待をしないこと。
どれも一見ネガティブだが、ストレスの多い社会をしなやかに生き抜くためには必要な、重要なスキルだ。
「折り合いを付けられるようになるのが、大人になるってことなのかも・・・」

歴史を辿って近代社会、特に政治に興味があるという。
すると、世界、国内、地方、集落、学校、家族・・・すべての情勢が、複雑に絡み合った自分の周りの人間関係に重なって見えた。
「町の中の選挙とか、大人のいざこざ見てると、やってることかわんないなぁって」
人口規模が大きくなっても、年齢を重ねても、実はぶつかる問題には大差がないのかもしれない。
問題を避けるために、別のところに逃げることは簡単だ。
しかし、好き嫌いも、合う合わないも、価値観や意見の相違も、人と人の間には必ずどこかでずれが生じるし、どこに行っても一定に似たような事象とぶつかることになる。

2024年望は高校の機械科を卒業し、社会人となる。
三島町の実家から通える距離にある、機械工具を生産する工場に就職が決まった。
「三島が大好きなわけでも、魅力があったわけでもない。ただ、ここに生まれた定めを、生きていこうと思う」
自分の置かれた環境で、あるべきところで向き合う勇気と覚悟。
社会に羽ばたく望がどのように成長していくのか、楽しみで仕方ない。