井口 恵(いぐちめぐみ)
菊地トク子さん(昭和15年生 柳津町)に聞く
生まれたばかりの赤ちゃんを、たくさんの人の愛情いっぱいの手で洗い、みんなで慈しむ。
柳津町西山地区に伝わる習慣で、赤ちゃんを外界のたくさんの常在菌に触れさせ、免疫力を高めて健やかで逞しい成長を願ったともいわれる「やや洗い」に同席させていただいた。
2023年末に生まれた金子瞳さんの赤ちゃんを囲んで、近くに住む親戚女性が集まった。
「3人育てたけど、覚えてるかなぁ…。一番下で6年経つから、ちょっと心配…」
と言いつつも、さすがは子育て経験のあるお母さんたち、わいわいと賑やかに役割分担をして、テキパキと服を脱がせて湯加減を調整し、優しく洗い始める。
赤ちゃんが、お湯の中で気持ちよさそうに目を細めて、ほわぁっと口を大きく開ける。
その一挙一動に、場を共有しているみんなの心がぽっと温かくなって、思わず頬がゆるむ。
赤ちゃんを中心に空気が弾み、みんなに幸せが漲ってくるのがわかる。
「生まれたばっかの赤ちゃんに触ると、なんか元気もらえんだぁ。うれしいよなぁ」
かつて、赤ちゃんのお母さん、瞳さんのやや洗いに行った、近所に住む菊地トク子さんから当時の話を聞いた。
「『湯浴びせだぁ』って声かけて、昔は桶屋さんのまあるいたらいで赤ちゃんお風呂に入れてあげるの。布おむつと産着を洗濯板で洗って、軒下にざーって並べてきれいに干して、終わるとみんなでお茶ご馳走になって解散。世間話もでるしなぁ、それも楽しみだったぁ」
かつて出産は、いのちの危険に晒される“忌むべき穢れ”とされていた。
そのため出産した母親は、神棚から遠く離れた納戸や物置小屋などの「おぼや(産屋)」と呼ばれる部屋から産後21日間出ることを禁じられ、寝食すべてをその部屋で過ごした。
もちろん外仕事のような負担をかけず、産後の肥立ちを養生する意味もあった。
「『おてんとさまに当たるな』って部屋から出ないで、ご飯もお母さんがお膳にして部屋に持ってきて、一人で食べるの。その部屋では履物もいつもとは別の使ったな」
この間、母親は部屋から出られないため、赤ちゃんのお風呂や他のお世話を近い親戚に声をかけて手伝ってもらう習慣があった。これが「やや洗い」だ。
「卵、バナナ、魚の缶詰、梅漬けやお菓子とか、母親の産後の肥立ちに栄養ある差し入れを持って顔見にいってくるわけ」
21日目が「おぼやあけ(産屋明け)」で、一番近い親戚の最年長の女性が赤ちゃんを抱いて、お祝いに神様にお供えするお赤飯を持つ人と3人で初めてのお宮参りをする。
そのまま産後50日までは実家で過ごし、51日目に嫁ぎ先に赤ちゃんと一緒に戻る。
嫁ぎ先では、仲人両親(女性が赤ちゃんを抱く)とお赤飯を持つ人と4人で神社へお宮参りをする。
その後、大黒柱の前に仲人両親が座り、父親方の親戚一同を座敷に集めてお祝いのお膳と共に赤ちゃんのお披露目を行うこととなる。
「みんなに子供抱いてもらった覚えあんなぁ。これで一緒にいられんなぁって安心したの覚えてる」トク子さんの旦那さんが、懐かしそうに微笑む。
赤ちゃんはたくさんの笑顔に包まれ、温かい希望を注がれ、愛情たっぷりの湯に浸かる。
そして洗う人はみな、赤ちゃんの柔らかな重みと甘い香り、しっとりとした温もりに強烈なエネルギーをいただく。
赤ちゃんにとっても、赤ちゃんを抱く人たちにとっても、肌と肌が触れ合うことで、生きる力、夢と希望、愛を交換する大切な儀式だ。
赤ちゃんへ、生まれてきてくれてありがとう。
元気に、健やかな成長を心よりお祈りします。