暮らしに溶け込む | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

暮らしに溶け込む

2024.03.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

渡部好一さん(昭和5年生 金山町)

灯りのような、空気のような、温もりの工人。
意匠をこらして高級化する奥会津の編組品の中で、ほっと暮らしの香りが漂うものづくりをするのが、渡部好一さんだ。
草履、箒、しめ縄…どれも“工芸品”のように洗練された緻密な作りを目指しているのではない、きっと少し前までたくさんの人が自分たちで作って使っていた“暮らしの道具”を、今も細々と、淡々と、確実に作り続けている。
素朴で、飾り気もなく、身近で、求めやすい。
好一さんの作るものは、どこで誰が作ったという主張も特になく、目新しさも力強さもないが、そういえば実家の片隅にあったかなというような、遠い昔から今に、自然に暮らしの中に溶け込むようなものばかりなのだ。

学校を卒業してから、近くの石材店に勤めるようになった。
週に3回東京に墓石を運び、帰りに横浜で原石を積んで帰ってくる運送を担当していた。
自動車が普及し始めた当時、車を運転できる人も限られていたようで、好一さんの運転技術は仕事に限らず町内の人にも頼りにされていた。
70歳で退職してから、近所の人からなんとなく習った箒作りを始めた。
「集落内に箒作る人は何人もいた。畑で箒草育てて、使う分と人にやる分を作ってた。けどみんな歳取って、逝っちまった」
好一さんは昔から作って、それを現金化していた職人ではない。
退職後、段々と作る人がいなくなるものを、誰かが作らないと誰も作らなくなっていってしまうから、それだったらと始めたのだ。

箒草は5月10日前後に種を撒き、土寄せしながらどんどん伸ばし、9月10日前後に刈り取りして、種を落とす。
8月お盆前、家の隣の畑には一面空高く箒草が茂っていた。
「2m以上伸びっから、(倒れないように)柵が容易でねぇの」
今年は雨が降らず暑い日が続いたので、穂先が茶色くなっているようだ。

「学校帰ってくっと、縄綯いしろって言われた」
草履は親や祖父母が作っていたそうで、茅葺屋根の葺き替えに必要な大量の縄を綯うのが、好一さんの放課後の日課だったという。
「飼ってた羊から毛刈って、糸にして靴下編んだの履いてた。それにげんべい履いて、雪靴履いて雪ん中歩ってた。それでも濡れるし、冷たいわい」
本人は今では履かなくなった草履も、好一さんにとってはかつて当たり前に使っていた大事な暮らしの道具だ。
どうすれば履きやすく気持ちよいか、どこが壊れやすいか、使い勝手と機能性、堅牢さも、作りながら自然と生まれる。
93歳ながら、ひとかたならぬ集中力で作り続ける好一さんの生産力の高さに驚く。
横で見学しながら質問を繰り返す私の相手をしながらも、手が止まることはない。
始めて2時間ほどで箒がひとつ完成した。
ご自身の体力を把握し、なるべく長くたくさん作れるように、道具を自作して作業を効率化する。

量産化された“商品”のように規格はなく、洗練された“工芸品”のように熟練の技でもない。
誰もができるような、安易で身近で素朴な技。
だからこそやる人が減り、みんなできたはずの技が失われようとしている現在、静かにひっそりと作り続ける好一さんの存在は貴重だ。
気付くと暮らしの中に自然と共にある安心感。
好一さんのものづくりは、そんな存在だ。