菅家 洋子(かんけようこ)
この冬はなんと、まだ山の神さまのお宮の雪降ろしを、一度も行っていない。積雪は例年の半分以下、30センチほど。重労働の雪かきをする負担は減っているけれど、それを手放しで喜んでいる人は少ない。村の人と顔を合わせると、まずこの浅雪のことが話題になる。そして、「やっぱり降るもの降らないと気持ち悪いな」とか「水不足になるかもしれない」とか、みんなどこか心配をしている。義父清一さん(91)も、「降る節(せつ)に、ちゃんと降ったほうがいい」と。そして、「浅雪で豊作になるちゅう話は聞いたことねぇな」と言っていた。2月25日には、昭和村内からむし織の里で「雪まつり」が開かれる。まさかとは思うけれど、このままでは雪がほとんど残っていないという状況で開催される可能性もある。以前、会津各地の雪まつりを巡ってきたという人から「昭和村の雪が一番きれい」という言葉を聞いた。もう10年以上前のことだけれど、ずっと憶えている。
同じ畑で同じ作物を栽培し続けるとき、うまく育たなくなったり収量が減ったりする「連作障害」ということが起きる。その対処法として、強い薬を使用した「土壌消毒」をすることが一般的だ。けれど我が家では、40年以上かすみ草栽培を続けていて、これまで一度も「土壌消毒」をしたことがない。他の農業産地でこのことを話すと驚かれる。清一さんは「かすみ草という作物が連作障害を起こさないのかと思っていた」と言っていたけれど、土壌消毒なしで昭和村のかすみ草が毎年よく育ち、きれいな花を咲かせてくれるのは、雪があるからだ。雪が深いことで、冬季に土壌を休ませられること。低温によって虫の卵や草の種が生き残れないこと。そして春とともに、大量の雪解け水が土を洗い流してくれることで、畑は再生する。ここ数年、かすみ草農家のなかで生育不良の話をよく耳にするようになった。温暖化に伴なう高温、加えて雪が浅いことでこれまで保たれていた土壌のバランスが崩れることも、今後さらに影響を及ぼしそうだと感じる。
「雪がなければどれだけ住みやすいか」という声はよく聞く。日々の雪始末は大変で、大雪となれば建物が壊れたり、水道や電気、道路など生活に必要な基盤も崩れてしまうなど、深刻な被害が隣りあわせにある。一方で、雪によって守られているものもあるということにも、改めて目を向けてみたい。畑が休んでいる間は、体も休めることができる。畑が洗われるころには、私たちもまた新しい心と体で畑に向かうことができる。そして「昭和村の雪が一番きれい」という言葉からは、雪によって守られる私たちの感性というものがあるのかもしれないと気づく。
2024年、新しい年のはじまりは、能登地方での地震災害、未だ続くイスラエル政府によるパレスチナへの攻撃によって、不安と心の痛みを伴う幕開けとなった。世の中は混とんとしていて、どうすればいいのだろうと、落ち着かない日々を過ごしている。いま改めて、この状況のなかで気づくことを大切にしたい。気づきは、ささやかなようで、自分の五感、これまで関わってきた人や事柄を経て生まれた、大切な芽だと思う。芽吹いた気づきを、まずは見て見ぬふりしないこと。その芽を観察しながら、守り育てるように、自分の手や声を使ってできる小さな行いを積み重ねることで、痛む人、弱い立場にある人たちに、差しのべられる手を持ちたいと思う。