須田 雅子(すだまさこ)
檜枝岐歌舞伎で演じられる福内鬼外(平賀源内)作「神霊矢口の渡 八郎物語の段(二段目)」に、新田家の家老、由良兵庫助が、妻の湊を縄で縛り上げて立ち去るシーンがある。
敵の迫る中、必死で動き回り、柱に縄を擦りつけて切ることでやっと自由になった湊は、左右の手を大きく動かしたかと思うと、すり足で一路、舞台袖に消えてゆく。他ではあまり見られない、女のすり足「六方」(ろっぽう)だ。
歌舞伎というのは全体に動きが抑制されている。登場人物の感情も、海外のミュージカルのように外に向かってただ発散されるのとは違う。
この、女の「六方」も、縄から解き放たれた湊の喜びや、「いざ、立ちゆかん!」という思いが、からだの内に充満して、からだの中だけではおさまりきらずに外に洩れてしまう、という感じだ。
山口弥一郎著『秘境 檜枝岐の歌舞伎』(1976年 福島中央テレビ)の表紙の写真もこの演目「神霊矢口の渡」だ。当時、44歳で湊を演じた平野幸子さんは、終戦の1945年に歌舞伎を習い始め、翌年、16歳で初めてもらった大人の役が、この湊だった。
幸子さんの名付け親は檜枝岐村の最初の村長で、百年前に「千葉之家花駒座」を起ち上げた初代座長の星愛三郎氏だ。初めて湊を演じることになったとき、幸子さんは当時の座長、星兼美(かねよし)氏から、「六方というのは男の人しかやってない。女のすり足六方は檜枝岐以外どこの歌舞伎にもないから、これだけはなくすな」と念を押された。そして振りについては、「女なんだから、手を動かすのは胸の前でやれ」と教えられた。
幸子さんに六方の動きを見せていただく。元役者らしい、渋さと明朗さが入り交じる歯切れのよい声で、「立ってはくでーが(難しいが)、これでやるぞ」と、膝をついた姿勢で背筋をピンとさせる。幸子さんの胸の前で、左右の手が力強く宙を切る。
「だんだん崩れてくるだなあ。もっと踊りになるの。もっとこれをやれと見せても踊りになる」と幸子さんが嘆く。
2022年9月の公演で湊を演じた平野真美さんは、「すり足六方」を幸子さんから直接教わった。「こうするんだ、ああするんだって、手取り足取りじゃなくて、まあ、こんな感じ、こんな感じってやって見せてくれた」と真美さんが言う。振りをして見せると「それでいいと思うから、まあ、やってみろ」と幸子さんに言われたそうだ。
9月の公演では、縄を解こうともがいている時に、着物の裾をかかとで踏んでしまいバランスを崩しそうになったが、かろうじてこらえたという。主君が死に、生きのびた弟は目の前で自害。新田家のピンチに夫は敵方に身を投じる。御台所を守り、落ち延びるために、湊は力強く足を踏み出していく。