【きかんぼサキ】ワラビ採り大会 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ】ワラビ採り大会 

2024.01.15

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 中学では“ワラビ採り大会”という行事があった。農繁期の田植えは子供たちも駆り出されるので、田植え前に行っていたという。その日一日授業はなく、全校生徒が山に行きワラビを採ることとなっていた。収穫したワラビは学校に業者が来てその日のうちに全部買い取り、その収益が部活動の道具の購入に充てられていたのだった。

ワラビ採りの日は自分の住む村がワンチームだった。一人一人の収穫したワラビの重さを計り、村ごとにトータルの数字を出して競い合うのだ。収穫する場所は上野平(うわのだいら)と決まっていた。上野平とは広い土地で本名以外の村はそこに接し、それぞれの村から上野平へ登って行く道があったという。しかし本名は学校も上野平も川を隔てたところにあり、上野平を知るような子はほとんどいない。他の村の子にとっては知った土地でも、本名の子にとっては全く馴染みのない土地だった。この場所の選定は本名にとっては不利なものだったようだ。

朝、本名の生徒たちは籠と弁当を持ち、まず中学校に行く。そこで川口の生徒と合流し先導してもらいながら上野平へ登るのだが、とにかく本名の生徒は慣れない場所でやみくもに採って歩くしかなかった。その結果、やはり上位は他の村にとられてしまう。それでも、昔は今よりもワラビは沢山出ていたので、そこそこ採れてはいたという。どの山も今よりずっと人の手が入っていたから、柴木が太くなることもなく藪も少なかった。だからワラビもよく出ていたそうだ。
「本名みてぇに学校に集まってから出発すんのと違って、玉梨、小栗山なんかは採りながら学校に来てた。量も籠2つくらい採ってる人あったり、太さだってオレらとは比べもんになんねぇような太くていいワラビ採ってたりしてな。やっぱ庭みてぇに歩ってるてぇには敵わねぇなぁと思ったわい」。
そう語る方の話からも、どう頑張っても本名は上位にはなれなかったようだ。

 いつものサキノなら先頭切って行っていたに違いない。ところが上野平はサキノにとっても全く知らない場所だった。そこでサキノは、皆とは別の単独行動をとる。
村の皆が学校に向かっている頃、サキノは一人で、いつも行く近所の山に向かっていた。毎年自家用にワラビを採っていたのだから、近くの採れる場所は知っている。迷うことなくサキノは一人そこに向かっていたようだ。
「いっつもワラビなんか採ってたも出てるとこなんて分かるわい!そこさ行って2時間くらい採ってから学校に行ってたな。他のてぇがどうやって採ってたかは、よく分かんねぇ。それよりその日は勉強しなくていいから、それは嬉しかったな!」
村の仲間たちが揃って上野平で採っていたことなど知らなかったとみえる。ワラビを多く採れば、学校の活動や対抗戦の協力になる。それには確実に採れるところで採るのが一番だ!単純明快な発想で突っ走るサキノの中から、最初のルールなど吹き飛んでしまったようだ。

当時、一緒にワラビ採りをした本名集落のある方が
「本名の村の中で採るなんて思いつきもしなかった。サキはきかんぼだから、そんなことやってのけてたかもしれねぇなぁ」と。誰もサキノの不在を気に留めることなく終わっていたのは、サキノの単独行動が決して珍しくなかったからなのだろう。つくづく大らかな時代と大らかな人たちに救われている。

 当時の学校や日常生活では、今の町や村よりももっと小さな集落を意識する場面がとても多かったのかもしれない。お互いを見比べているからこそ、自分の村と周囲の村の特徴も違いも知りつくしている。“本名”という小さな地名の旗を振りかざし頑張る本名っ子たち。その姿はいつでも真剣そのものだ。