菅家 洋子(かんけようこ)
「ウタヨミ(唄詠み)」を終えたら、いよいよお待ちかねの飲み食いの時間。みんなが持ってきた一品料理を広げる。「オカラク」は団子のように茹でるのでなく、ストーブの上で焼いた。香ばしさと、念願のものが食べられた満足感で、とてもおいしく感じた。私はスイートポテトを作って持っていった。「すごいなぁ、買ったがなかと思ったぞ」とまたもや褒めてもらう。天ぷら、おひたし、干し芋、甘酒、みかん、気を使わないそれぞれの一品。うまいうまい、楽しいなぁ、と姉さまたちが繰り返すので、私はうれしくなった。
女の人のお祭りだからか、姉さまたちは出産についての思い出話を聞かせてくれた。
もう産まれるという時になると、障子の桟が見えなくなるほど辛くなると聞かされていたのは、3人に共通していた。アイコさんは、どんなにお腹が痛くなっても「あぁ、桟が見えるからまだだな」と思っていたという。そして興味深かったのが、クマのお産のように軽くすむことを願って、「ヒャクヒロ」という「クマの腸」を帯に挟んでおくという話。家に帰ってからテッポウブチ(猟師)だった義父のセイイチさんに聞くと、「本当はメスクマの子宮と言われるが、そんなの獲れっちゅうことねえ(獲れるわけではない)から、クマの腸を数センチに切ったものを使った」と言っていた。
いつも集まりの飲み食いは、だいたい1,2時間でお開きになる。ところがその日は違った。「まだまだゆっくりしていくべ」「夕方までいたっていいんだ」と姉さまたちが言う。私はいつも通りのつもりでいたので、車の点検の予約を入れてしまっていた。そう伝えると、「鍵はちゃんと締めて後で持っていくから、ヨウコちゃんは先に行っていい」と姉さま。観音講は、観音さまに感謝しおまつりする日であり、女の人が家のことを気にせず、とことんゆっくり食べたりお喋りする日でもある。そのことを存分に味わって楽しんでいる姉さまたちを、なんだかとてもかわいらしく思った。そして、今はもういないオオマタの姉さまたちが続けてきた観音講にまつわる振る舞い、想いが、今もここに残っていることを、じんわりとあたたかく感じた。
観音さまにお供えした7つの「オカラク」は、みんなで分けた。神仏にあげ申した食べ物は、「お護符」になる。6月の「おあたごさまの日」にも、山に登ってあげ申した赤飯は「お護符」になり、高齢になってお参りに行けなかった人たちに後で分けられる。私はこの「お護符」の在りかたが、すごくいいなと思っている。神さまに触れたお供えがお守りになり、それをみんなで分け合うこと。持ち帰った「オカラク」は、家族みんなで食べた。
観音講、また来年もできるといいなと思う。