井口 恵(いぐちめぐみ)
井上富男さん(昭和8年生 金山町)
只見川から急な上り坂をどんどん登っていくと、約6000年前の火山活動で形成されたカルデラ湖の沼沢湖がある。
昭和27年沼沢湖から只見川への標高落差を生かした、東洋一で日本初の純揚水発電所として沼沢沼発電所が開設された。(平成14年廃止、現在は第二沼沢発電所が稼働)
春~夏の豊水期の夜間、電力余裕時に只見川から沼沢湖に水を汲み上げておき、渇水期や必要な時に標高落差を利用して水を落として発電を行う揚水形式の発電所だ。
富男さんは樺太で生まれ、昭和23年に父親の実家がある金山町に戻って来た。
樺太は風が強くて雪が積もらないため、金山町に降り積もる雪の量にはたまげたという。
戻って来た頃の電気は電灯とラジオくらいで、生活には薪や炭が当たり前だった。
昭和28年から、富男さんは沼沢発電所に勤めることとなった。
「トイレ掃除から始まって、測量の手伝い、先輩から教わって覚えたコンプレッサーやトランスの油のろ過、もしもの時のために全部2個ずつある機械の子守してた。24時間2人交代制で取水口に常駐して、1日2回沼の水位報告もやったりしたな」。
今のような重機もない当時、手掘りで土木工事にも携わったそうだ。
「全国から工事の人たちが集まって、人の出入りもすごかった。店もたくさんあってな。土方の人の飯場があって、酒飲むとケンカとかもしょっちゅうで、賑やかだった。工事が終わると、集落の女の人嫁さんに連れて故郷に戻ってっちまったりしてな」。
昭和27年の稼働から20年後に管理が自動化し、さらに出力量の多い第二沼沢発電所の開設に伴い、平成14年に沼沢沼発電所は廃止となった。
それに伴い富男さんも、上田、宮下、柳津、、、と只見川沿いのダム発電所に配属となる。
一番気を張ったのが洪水対策だという。
「水は怖い。止水するか放水するかの判断を誤ると、大きな被害を招いてしまう。決断は常に現場に任せられてた。只見川上流から下流において刻々と変わる天気の様子を確認しながら、積み上げてきた経験と感覚、現場でないとわからない水量の状態から、常に適格な判断が求められた。緊張もするし、心配もするし。水が収まったときは、やれやれって安心した」。
富男さんが定年まで勤める間、只見川流域では幸いにも大きな事故も被害もなかったそうだ。
昨年12月の大雪が降った早朝に、集落が停電した。
「寒くてなぁ。今は電気がないと生活ができない。薪焚いてる頃はそんなもんだと思ってたけど。今は贅沢しすぎてるのかもしれんなぁ。なんでもそうだが、今は慣れっこになってて、不便なことがあると、すごく不便に感じんだ」。
只見川流域の電源開発事業は、奥会津に降る雪解け水が動力となってその電力発電を担っている。
「豪雪地帯での生活は楽ではない。でもこの雪があるから、雪のおかげで発電できる」。
化石燃料に偏りエネルギー自給率の低い日本において、自然の力で自給できる水力発電は貴重な純国産エネルギーだ。
奥会津を覆う冷たく重い大雪が、戦後の産業と首都圏の暮らしを支えてきたのだ。
水の強さと怖さをよく知る富男さんは、奥会津の厳しい自然環境だからこそ生み出せるこれからのエネルギーの可能性を、静かに確信する。