渡辺 紀子(わたなべのりこ)
残飯娘は1台のリヤカーに、いつも12個の桶に残飯を入れて戻る日々だった。リヤカーにはまず側面に板で少し高い壁を作っておく。下段には6個の桶をピッタリと置き、その上に板を載せ、重ねて上段に6個を置くという積み方。それぞれが、重さも違えば蓋もない。運搬は失敗の連続だった。
コツがつかめないうちは、積み荷の重さでリヤカーが動かない。また真っ直ぐ進まず、ユラユラした挙句こぼしてしまう。少しでも軽く、少しでもこぼさず持ち帰るのは、なかなか難儀なことだった。桶の重さをみながら、どの位置に置くかを判断する。右と左のバランス、前と後ろのバランス、これがマッチするとうそのように軽く感じるのだった。サキノたちは知恵を絞り、最適なバランスと操縦法を編み出していったようだ。12個の分配は家の家畜の数に合わせて決めていた。サキノが6個、あとは4個と2個、それが最後まで変わらぬ配分だった。
「行き帰りにしていたこと、例えば誰かの好きな歌を歌いながら歩いたとか、しりとりみたいなことして歩いたとか、何か思い出は?」
片道40分の道中にはきっと楽しみもあったはず、との勝手な思い込みからの質問だった。
「そおだ呑気なもんでねぇ。歌なんて歌うずら(どころで)ねぇわい。今のようなコンクリの綺麗な道でねぇだかんな」と、全ての道のりが砂利道で、平らな道ばかりではない。上りも下りもあり、広い道や狭い道と様々な様相だった。登校時間までに戻るというタイムリミットもある。あっけらかんのきかんぼサキの道中とはいえ、さすがにピクニック気分とはいかないものだった。
残飯娘たちの通う早朝の時間帯でも、もうすでに沢山のトラックは動き出していた。その端っこをトラックの風圧にのみ込まれぬよう、ヨロヨロしつつもしっかりとリヤカーを進ませなければならない。
道中に1か所だけ片側通行のトンネルがあった。道幅の狭さからの片側通行だった。その中にサキノたちが入る。すると、トラックはその横を通る広さがないため、リヤカーの後をゆっくり付いていくしかない状況だった。早く通り抜けたいトラック。でも早く通り抜けたいのは残飯娘も一緒だった。
「パァ~ン!ファファ~ン!ファファファファ~ン!」と、けたたましいクラクションがあちこちから鳴り響く。しかし、鳴らされてもどうしようもない。残飯娘たちはいつものペースで進むしかないのだ。
「さっさと行け!何やってんだ!なんて怒鳴り声も聞こえたが、何とも思わねかったな。それより、ここはトラックだけの道んねぇ!おらだれの道でもあんだ!って言い返したわい。でっかいトラックが何台もオレたちのあとを付いてくんだぞ。ゾロゾロってな。トラックがみんな子分みてぇだべ。いやぁ気持ち良くてスカッとしたもんだった。あの隧道通っ時がいっつも楽しみで、あれでまた、よし!って力が湧いたもんだ」。
いくら急かされても焦ることなど全くない。やっぱり、きかんぼサキがムクムクと顔を出す。クラクションが闘志を掻き立てるBGMにすら聞こえていたのかもしれない。まるでレスラーがリングに登場する時のテーマソングのように。親分体質が刺激された時、サキノは水を得た魚のように生き生きと動き出す。サキノのリヤカーの定位置は前方正面のど真ん中。後ろから二人が押していく。残飯娘のスタイルは最初から最後までこれで終始したようだ。苦労話がまたしても武勇伝に転換される。
名も知らぬP隊の大人たち。名も知らぬトラックの大人たち。この沢山の大人たちの目に三人の少女はどう映っていたのだろう。きかんぼサキたちが何事もなく残飯娘を務め上げられたのも、この大人たちがどこかで心の声援を送り、じっと見守り続けていてくれた。そんな気がしてならない。
さて、サキノたちに思いもよらない話が舞い込んだ。
「残飯運びをよく頑張ったってことで、三人が学校で表彰されることになったのや。全校生徒の前で校長先生からゴワゴワ紙(和紙の表彰状)貰っただぞ。たまげたが嬉しかったなぁ」。
身近な大人たちもちゃんと見てくれていたようだ。