井口 恵(いぐちめぐみ)
二瓶キシイさん(昭和11年生 三島町)
「こんなん、さすけねぇ(大丈夫だ)」。
なんとか完成させるんだと意気込んで編んでいるうちに、凝り固まっていた身体の力がフッと抜けた。
なんという安堵感だっただろう…魔法の言葉だった。
初めて作っていたスカリ(山菜採取の時に使用する、ヒロロで編んだ入れ物)の縦縄が切れ、絶望で泣きそうになる私に、けろっと声を掛けてくれたのがキシイさんだった。
ヒロロを綯った1本の縄で作るスカリは、途中で切れると修復がなかなか大変なものだ。
私が初めて綯った頼りない縄は、完成間際のところでみごとにブチっと切れた。
しかしそれは、キシイさんの魔法の手でスルスルと繋がり、見事に元通り、それ以上にきれいに蘇ったのだ。
キシイさんのものづくりは、古いものを直すところから始まった。
「生活が苦しくて、食うに必死だった。買うようねぇからなんだかんだ作らんなんなかった」。
米が潜るマタタビ笊の隙間を埋めて、ほつれた荷蓑やスカリを繕って、肥しを運ぶ肥俵を編む。
子供を背負って畑仕事、勤めにも出て、暮らしに追われる中少しでも生活が楽になるために、ただただひたむきに取り組んでいた。
「辛いとも考えるヒマもねかった。こめらに何かしらしてあげなきゃなんねぇ」。
登りは肥しや稲藁、降りには収穫物を抱えて、毎日急斜面を登ったところにある畑に往復していたそうだ。
家族も近所の人も、みんながキシイさんを働き者だったと言う。
孫を背負っていた50代、生活工芸館でヒロロ細工を始めていた親戚に遊びに来るよう誘われた。
三島町で生活工芸運動(編み組細工復興活動)が始まったばかりで、ヒロロ細工の新しい意匠や様式を研究している時期だった。
意識して始めたわけではなかったが、暮らしの必要に迫られてやっていたものづくりの習慣から、自然とのめり込んでいった。
「何もしないで、たーだいられない。だからやる。できたのは孫たちにくっちぇ、喜んでくれんのが嬉しい。好きなことがやれて、腹いっぱい食えて、みんなでこうやって今いられる。こんな幸せねぇな」。
隣で作業している私に手ほどきをくれる時も、大笑いしながらみんなでお茶呑みをする時も、スルスルするする…キシイさんの縄綯いの手が止まることはない。
まるで呼吸をするように、不思議なくらい軽やかに自然に、平らで真っすぐで逞しい縄が生まれてくる。魔法の手だ。
くっきりぷっくり締まった一目一目の縄目には、大切な家族を思い、日々の暮らしに真っすぐ向き合ってきたキシイさんの力強い生き方が詰まっている。
私もいつか、「さすけねぇ」と笑いながら、柔らかい優しさに溢れた縄が綯える人間になりたい。