【きかんぼサキ】 知らない人で溢れる家 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【きかんぼサキ】 知らない人で溢れる家 

2023.07.15

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 本名の集落の変貌は、日々めまぐるしいものだった。見たこともない店、見たこともない施設、見たこともない人たちで、村はみるみる溢れてきた。そして、その波はサキノの家にも押し寄せてくることとなる。
 最初は奥の座敷からだった。只見から来たという家族3人が、そこで暮らし始めたのだ。父と母と娘の一家で、道に面する部分にさっかけ(屋根)を掛けて、突然そこは床屋さんになった。次は手前の茶の間。ベニヤで半分に仕切って、その半分には原田さんという朝鮮からの家族が、半分には発電所関係の人が暮らし始めた。知らない間に、座敷には簡単な台所が備えられ、それら2組の家族はそこで煮炊きをして食事していたようだった。
 そのうち居間(いのま)には、仕事の男の人たちが暮らすようになった。2~3人の日もあれば、もっと多い日もあったり、仕事の都合で自由に出入りしていたようだった。天井にも稼ぎの人が一組。それらの人たちは、食事はどこかで済ませていたのだろう。寝るだけに帰って来ていたようだったという。茶の間の目の前のところにも、さっかけの屋台のような焼き鳥屋が出来、それまでとは打って変わって賑やかな夜が続くようになった。
 こうして瞬く間に、サキノの家は知らない人でいっぱいになった。
ところで、肝心のサキノ一家はどこに居たのだろう?思い当たる部屋は、大体埋まってしまった気がするが…
「オレたちが居たとこか?“囲い”って言うが、座敷の裏の部屋にみんなで居たのや。あの頃はたいがいの家に、誰かしらよその人居たようだ。貸せば、なんぼかの家賃が入っぺ。中でもおら家は大勢だったな。家族だけで暮らしてたのは、金持ちの家くらいでねぇか」。
 当時、ダム建設が始まったことにより、工事関係者や家族、その人たちを見越した様々な商売の人たちが、なだれ込むように押し寄せる毎日だった。東北電力、間組や前田建設といった大手建設会社の人たちの宿舎は、どんどん建てられたものの、あまりにも短い準備期間で建設も間に合わない。それで、それに入りきらない人たちは、一般家庭に間借りして凌ぐことしかなかった。部屋貸し用に建てられた家でもなく、プライバシーなどかけらもない。どんどん家族のスペースが減り、不便さも当然あったはずなのだが…
「不便だったこと?特別思い出すようなことはねぇなぁ。もともと家族でいっぺんに寝てたから、たいして変わりはねぇ」。
 やっぱりサキノはへっちゃらだった。確かにそれまでも、自分のスペースがあったわけではない。でも、この生活で変わったことはなかったのだろうか、と思いを巡らせてみる。すると、サキノは思いもよらないことにアンテナを立てていたようだ。
「床屋が出来たっていっても、それまで床屋なんてかかったことねぇから、やってもらったりはなかったな。焼き鳥屋の人には、“食うか?”なんて言われたが、味も知らねぇから食いたいとも思わなかった。それより、焼き鳥屋では毎晩のように騒ぎがあって、他でもそこらじゅうで喧嘩のようなこと起きるようになったのな。友達はおっかながって見なかったが、オレはそういうのよーく見てたもんだった。」
 沢山の人が村に出入りするなか、毎日のように起こる大人たちのいさかいを、小学4~6年生くらいのサキノは、遠巻きにじっと見ていたのだった。あちこちの飯場で、飲み屋で、道端で繰り広げられる喧嘩や喧噪を、好奇心と不思議な冷静さで見つめていたのだろう。荒くれ者の大人たちを、恐れることもなく。
 きかんぼサキは、生まれついての性分が大きいことは違いない。しかし、この時期に更なる度胸を身に着けたのかもしれない。
 ちょっとのぞいた大人の世界。世の中にはこんなに色んな大人がいる。驚きだっただろう。それは、サキノに人間の本質をまざまざと見せてくれた。善と悪、本当の強さ、そして本当の優しさ…よく分からないままに、その時心に刻んだ人間観察を、後のサキノは時折思い返していたのではないだろうか。まるで答え合わせでもするように。
 怖いものなしのきかんぼは、子どもだてらにするりと大人に紛れ込む。日々の務めはこなしつつ、全くもって自覚なしのキテレツぶりだ。油断も隙もあったものではない。