【山と草花】 伯母さまの挨拶 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【山と草花】 伯母さまの挨拶 

2023.07.15

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

 兄弟姉妹の多かった父の一番上の姉は、明治四十年頃の生まれで、名前を「ハツヨ」と言った。私達従兄弟はみな、この優しい伯母さまが大好きで、只見川の近くに住んでいることから「川端の伯母さま (かーばたの伯母さま)」と呼んで、時々行っては我が物顔で家の中を走り回って遊んでいた。
 伯母さまは、また、よく澄んだ声の持ち主で、みんなが集まる振舞の時など、せがまれて唄を歌うこともしばしばだった。その歌声は何を歌っても、どこか哀調をおび、大人たちは皆、しんみりと聞いていた。
そんな伯母さまの挨拶の言葉はとても心地よく、通りをせかせかと歩きながら、行きかう人誰かれなく挨拶している姿が目に浮かんでくる。今は耳にすることが無くなってしまった、そんな挨拶の言葉のいくつかを紹介したい。

「雪催(もよ)いだなむ」
 冬が近くなって、暗い雲が立ち込め、今にも雪が降りだしそうな日、叔母さまは空を見上げながら
「今日は雪催いだなむ」
と挨拶していた。「なむ」というのも、今はあまり遣う人がいなくなってしまったが、話し相手に相槌をうったり、同意を求めたりする時の丁寧な言い方だ。子供の頃は「雪もよい」というのも只見の方言だと思っていたのだが、立派な古い日本語で季語にもなっていることを知ったのは、ずっと後になってからだった。とても寒い日の挨拶なのだが、叔母さまの言葉はいつも丁寧で、ほっこりと暖かい。
「年中は、はあ、やっけになりました」
 伯母さまは、年の瀬や年の始めには、こんなふうに挨拶を交わしていた。年中は、一年中、やっけは、厄介、「はあ」は間投詞ともいうのだろうか、相手に丁寧に呼びかけて、より感謝の気持が込められていたような気がする。今の言葉で言えば、一年間、とてもお世話になりました、ということなのだ。年があらたまって、晴れやかなお正月の日に、地味でも綺麗な着物姿の伯母さまが、きちんと畳に手をついてお辞儀を交わす、「年中」という言葉の響きは、なんとも慎ましやかで、心のこもった挨拶だった。

「栗が、えんできたなむ」 
 秋も深まって、栗の実が熟し、毬(いが)がぽっかりと割れる頃の伯母さまのこの挨拶の言葉がずっと耳に残っている。「えむ」、というのは熟す、熟むが、この地方らしくなまって、「えむ」と言っているのだろうかとぼんやり考えていたのだが、これが、微笑む「笑む」であって、古来からの美しい日本の言葉が、伯母さまの時候の挨拶に取り入れられたのだった。そしてまた、実際に栗が熟し、毬から栗の実が覗いているのを見ると、まるで人が笑っているように見えることを知った時は、まさに目からうろこが落ちて、深く、深く納得できた。

 伯母さまのこんな挨拶の言葉が響いていたのは、昭和三十年も前半で、子供だった私の耳には随分と古臭く感じられたものだった。聞くことができなくなってしまった今になって、同じ挨拶の言葉が、逆に新鮮に、そして叔母様そのままに、ふくよかで慎ましく、蘇って聴こえてくる。