松﨑 大(まつざき ひろ)
2026年5月23日(土)、昭和村の喰丸小で菅家洋子さんが主宰する第6回ヒロシマ展『はだしのゲンが見たヒロシマ』上映会の午後の部に参加した。

『はだしのゲン』のような作品にふれると、鉛を飲み込んだかのように、胃の中に重く、つまった、昏(くら)い何かがずっしりと溜まり込んでいくように感じる。頭が少しぼうっとなり、呼吸がつまるような息苦しさを覚える。われわれの生きる世界が生み出した人間の罪悪の結晶が、私の目前に広がる。「人類」という規模の事象が強制的に意識の中に刷り込まれる。私の身体は生理的に拒否反応を起こし、その場から逃れたいと思う。私の頭は人類の悪意から目をそらすなと体をその場に留まらせる。頭と体がちぐはぐになる。決して心地の良いものではない。
私は何度かこのような場に立ち会ったことがある。中国の「南京大虐殺記念館」(侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館)を訪れたとき、フィリピンで日本軍「慰安婦」生存者の証言を聞いたとき、フォーラム福島という映画館でユダヤ人のホロコーストを扱ったクロード・ランズマンの『ショア』を観たとき、沖縄の佐喜眞美術館で丸木位里・俊の描いた「沖縄戦の図」の絵の前に立ったとき。たとえ日中の昼間だったとしても、視界に重量をもった昏さが立ち込めてくるような経験だ。
石田優子監督の『はだしのゲンが見たヒロシマ』(2011年)を鑑賞した後で、かつて経験した昏さが身体の中に再帰した。会場を後にすると、昭和村の道の駅で、ホットコーヒーを飲みながら外のベンチに座って意識が日常に回帰するのをゆっくりと待った。目の前の風景と、原爆が落ちた広島の風景のあまりの落差にまぶたが閉じる。
『はだしのゲンが見たヒロシマ』において、『はだしのゲン』の著者の中沢啓治さんが語る原爆後の光景はすさまじい。『はだしのゲン』には、原爆が落ちた後の広島で、身体が溶けているような被爆者の姿がたびたびあらわれる。それは、原爆の熱で全身に火傷を負った被爆者の水ぶくれが弾けることで皮膚がはがれ、顔から、胸から、腕から、足からはがれた皮膚がぶらぶらと垂れ下がっている様子であることを初めて知った。当時、幼い中沢啓治さんの眼前でこれらの被爆者たちが水を求めて行列をつくり、通り過ぎ様にその垂れ下がった皮膚が中沢さんのほほに何度も当たったという。
映画の中の中沢啓治さんは、原爆投下後の広島を共に生きた母が、晩年は原爆病院で闘病生活を送りながら、やがて亡くなったことを話す。母の遺体を火葬に付すと、その骨が白い粉のようになっており、ほとんど骨らしい骨が残っていなかったという。「原爆のやつは骨まで奪っていくのか」と腸が煮えくり返ったことが、中沢さんが原爆をテーマにした漫画を描くきっかになった。
私が原爆や戦争犯罪、あるいは民族虐殺などに関連した作品に対面するとき、独特の後ろめたさを自覚するようになったのは、直野章子さんの研究に触れてからだ。そこには体験者に何度も証言を求めながら、それらの証言や体験者の立場を都合良く扱おうとするわれわれの社会への鋭利な批判がある。「いずれの立場も、言説が準備する被爆者という主体位置に原爆を生き延びた者を囲い込みながら、自らは無徴の観客の位置に留まっているのだ」という指摘は、私の立場を深くえぐる。
拙著で試みたのは、被爆者という主体性は集合的な主体化の運動を通して形成されるものであることを示すことで、観客を舞台の一員として印づけ、私自身も舞台に上がることだった。それは、原爆の生き残りたちを舞台に押し上げ続けることに対する憤りと、生き残りが背負わされてきた記憶の重荷をほんの少しだけでも軽くしたいという願いによる(直野章子「「囲い込まれること」と「主体化」をめぐる政治と言葉について」『理論と動態』9号, 2016年, 123頁)。
体験者の話を傾聴する姿勢を取りながら、その実、社会が扱いやすい立場に体験者をおいやる。体験者の証言を型にはめ、そこから漏れるような証言はなかったことにしてしまう。こうした例が無数にあることを研究史が証明している。
現況はさらに深刻だ。2023年に広島市教育委員会が、平和教育の小学生向け教材から『はだしのゲン』を削除する方針を決めた。われわれの社会は証言を取り扱うことすらやめようとしている。昭和村で生業のかたわら「燈火草」という個人書店を営み、『はだしのゲン』の全巻本を販売する菅家洋子さんの取り組みには、社会のこうした姿勢への意地があらわれていると思う。

私の指導教授であった中野聡は、その著書で戦後の日本社会が東南アジア諸国との賠償問題に向き合ったとき「あまりにもあっさりと過去と決別した身軽な平和国家としての「戦後日本」と、生まれ変わったように平和を愛する健忘症の「戦後日本人」」の姿をさらしたと指摘する(中野聡『東南アジア占領と日本人:帝国・日本の解体』岩波書店, 2012年, 332頁)。過去の意図的な忘却の上に平和主義を名乗るのであれば、それは欺瞞の誹りをまぬがれない。
私は『はだしのゲン』を取り除いた日本社会をうまく想像することができない。「南京大虐殺記念館」や「沖縄戦の図」が失われた世界を想像することもできない。これらはわれわれの社会の重しであり、重心として存在しているものだと思う。この重さを失った社会は「存在の耐えられない軽さ」であり、ひいては意図的な記憶の封じ込めを頻発して、人々の存在が顧みられなくなる下地となってしまわないだろうか。
先日、「東日本大震災・原子力災害伝承館」と「福島県復興祈念公園」を訪問する機会があった。上述してきた原爆にまつわる社会課題は、これらの施設にも、あるいは福島県自体にも関係していくことであろう。その昏さが少しでも、世界が必要とする重しとなって支えていけるようになれば良い。
中沢啓治さんは『はだしのゲン』を「元気のゲン」という。私はずっと「原爆のゲン」だと誤解していた。中沢さんの生涯やその作品を観れば、彼が描いていたのは昏い世界だけではなかったと断言できよう。
