つばめの飛来 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津を学ぶ

つばめの飛来

2024.05.15

菅家 博昭(かんけひろあき)

 令和6年4月22日。この日の暖気で、標高730mの大岐地区周囲の山では、シバザクラとオオヤマザクラの2種のサクラがようやく色づき始めた。
 野の鳥も繁殖期を迎え、朝は盛んに鳴き交わす声が喧しい。専業の花き栽培作業の傍ら、耳を澄ませて鳥たちの声を聴く。休憩時に、時折8倍の双眼鏡で小鳥の姿を確認すると、ハンディ鳥類図鑑で該当種を探す。これは30年来の日課で、耳を鍛えること、1年に数種でも鳥類や昆虫類を分類できるようにすること、つまり一緒に暮らす地域の財産目録を、季節の日送りの中で確認・記録し、登録している。
 春の作業には雪解け水を集めた沢水を取水した「山水道」の水を水筒(ペットボトル)に入れて持参する。一年中でいちばんの良水のようで、滋味がある。
 農作業は単純な繰り返しが多く、私は環境音を聞きながら、なぜその種の生き物がそこに暮らすのかを考えながら作業をしている。
 決まった個体が、決まった樹木や石倉(畑の石を積んだ場所)の上で鳴く。こうした場所を「ソングポスト」と言う。縄張り宣言と、メスの抱卵巣を天敵から監視防衛しているわけだ。
 カラス類の個体識別は私にはできないが、大岐には何羽のカラスが暮らし(冬期間は小雪な会津盆地の河川敷等に移動)、トビやノスリという里山の鷹類がどこで繁殖しているのかも、この30年間観察している。
 現在、いちばん心配なことは、家の前の河川の直上を行き来しているカワガラスがこの春から見えなくなったことだ。カワガラスは厳冬期でも河川を行き来していた。

 この日、2羽のツバメが、朝から入れ替わり立ち替わり我が家の玄関に出入りしていた。外玄関にある天井の街灯とその脇に過去のツバメの巣があり、そこに柔らかな濡れ色の土を貼り付けている。
 実は、この玄関には風除室(雪よけ)として、外側に新たな戸を父・清一(91歳)が日曜大工で設置したので、我が家の玄関には戸が3枚ある。外玄関の仮設戸、本来の玄関のサッシ戸、保温のための内戸である。
 私はこの外玄関の戸を開けたままにするよう、段ボールに「ツバメのために開けておくように」と黒いマジックで書いて貼った。そし枝物花木の切り戻し剪定作業に出かけた。
 ところが、昼食に自宅に戻ってみると、外玄関の戸が閉められていた。家族に聞けば、父・清一が閉めたという。
 我が家の玄関にはこの十年ほどツバメが来ることが無くなっていたが、ツバメが家の玄関に巣くうことは歓迎すべき慶事であり、なぜ、ようやく慶事を運んできたツバメを閉め出すのかと、父・清一に尋ねた。
「ツバメが巣くうと、アオダイショウ(ヘビ)が家の中に入ってくる。これまでも何回も入られたから閉じた」と言う。ツバメのカエシ(糞)は許容できるが、ヘビが家に入るのはだめだと言い張る。

 ツバメはそれを怖れて、人が生活している家屋の適所に営巣する。人が住んでいない家にはツバメは巣を作らない。巣を作れるところが少なくなったのだから、我が家くらいは受け入れてもいいのではないか、と抗ったが、父はついに受け入れなかった。
 かつて、ツバメが集落に飛来し、家々に営巣を始めると、祝意を示す「ツバクロ祝い」をした伝統はどこへ行ったのだろうか?

 大岐のツバメは数件の居住者のいる玄関に毎年、巣を架けている。それができないツバメは、コンクリートの橋梁の下に造巣して子育てをしていたが、昨年は、この巣でヒナが孵ったら、カラスが襲撃してすべてのヒナを食べてしまった。カラスも近づけない、人が出入りする玄関は、ツバメにとって貴重な安住の地なのだ。

 翌日、私は外玄関の戸を開け放し、閉められないようにしておいたが、ツバメは二度と来ることがなかった。