長島 雄一(ながしまゆういち)
7.後期
縄文時代中期末~後期初頭の時期、すなわち約4200年前に地球上の広い範囲で発生したと考えられる乾燥化と寒冷化を特徴とする急激な気候変動を「4.2kaイベント」と呼んでいます。世界的に冷涼化が進行し、日本でもこの頃には遺跡数が減少するなどの動きが見られます。また大規模な遺跡が姿を消し小規模なものへと変化していきます。これは一集落当たりの人口を減らして小規模な集落へと分散居住するような動きと考えられます。土器棺を用いた墓が増加し、信仰性を帯びた配石遺構などが多くなっていきます。また後期は土瓶型などの土器が出現するなど器種が豊富となり、工芸的な技術の進化が見られた時期でもあります。
後期の初頭、会津地方の遺跡からは新潟方面に分布の中心をもつ三十稲場式と呼ばれる土器が、只見川・阿賀川流域そして檜枝岐村などでも数多く見つかっています。後期の中頃になると南関東地方に分布の中心があり斉一性が強い加曽利B式と呼ばれる土器が福島県内でも多く出土します。この土器についても、最近では関東模倣型・東北中部改変型・会津型など関東~東北地方を俯瞰した地域色の検討がなされるなど地域性をとらえ直す研究が進展しています。
後期の遺跡例としては会津若松市坊主山遺跡、喜多方市藤権現遺跡、猪苗代町角間・長坂遺跡、会津美里町油田・北平・下谷ケ地平A・十五壇遺跡、南会津町(旧田島町)小塩遺跡、旧伊南村分の堂平遺跡、三島町佐渡畑・銭森・稲荷原・入間方・中際遺跡、金山町石神平遺跡、檜枝岐村下ノ原遺跡などがあげられます。角間遺跡では竪穴住居跡が28棟と、この時期としては数多く発見されています。また三島町中際遺跡からはこの時期の土笛が出土しており、二本松市毘沙門平遺跡の土笛と共に注目されます。
特に近年の調査で注目を集めているのが喜多方市塩川町の藤権現遺跡です。後期の大規模な集石や配石・埋設土器群などが多数確認されており、現在整理が進められています。
後期の土器が多数発見された遺跡として会津坂下町竃原遺跡を欠かすことはできません。戦前の著名な歴史学者である喜田貞吉が、この遺跡の土器を蒐集したことでも有名です。大正時代に阿賀川の水路改修工事に伴って発見されたこの遺跡からは森林跡と共に後期中頃の濾過器状土器をはじめとした精製の異形土器をはじめ、ほぼ完全な形の土器が多数発見され、一部は東北大学で保管されています。2014・15年の会津坂下町による発掘調査で後期から晩期にかけての粘土採掘坑、後期前半~中葉の良好な資料が出土しています。また南会津町(旧伊南村)の堂平遺跡では後期初頭の石棺墓が数多く発見されています。
晩期
会津若松市墓料・院内・姫城・七摺鉢、喜多方市森台、会津美里町(旧新鶴村)権現堂遺跡、会津坂下町袋原・宇内遺跡などは古くから知られた晩期の遺跡です。また喜多方市(旧山都町)沢口遺跡、磐梯町寺西遺跡、柳津町砂子原居平・塩ノ半在家遺跡、三島町銭森遺跡、金山町今上遺跡、只見町窪田遺跡、南会津町(旧南郷村)村下A・B遺跡、南会津町(旧伊南村)馬捨場・堂平遺跡、など、この時期の遺跡は数多く見つかっています。
会津美里町(旧会津高田町)北ノ前・上冑A・下谷ケ地平B・C遺跡、会津若松市上雨屋、喜多方市森台、只見町窪田遺跡などからは竪穴住居跡が検出されており、このうち窪田遺跡では調査結果に基づいて竪穴住居が3棟復元されました。2022年には「モノと暮らしのミュージアム」が隣接地に誕生しています。
また三島町の小和瀬遺跡からは全国的にも有名な晩期末の土偶が発見されており、現在は東京国立博物館に収蔵されています。2018年の発掘調査では晩期後葉から弥生時代中期中葉の集落跡が調査され、晩期末葉の竪穴住居跡1棟、同じく晩期末葉の亀甲形を呈する堀立柱建物跡2棟、土坑、遺物包含層などが発見されています。出土した土器の中で、晩期最終末に属する土器(大洞A‘式)の年代測定を行った結果、紀元前399~374年の範囲に収まることが判明しました。縄文から次の弥生時代に移り変わる時期の貴重な調査結果です。
荒屋敷遺跡~縄文から弥生時代へ
会津を代表する晩期の遺跡として三島町荒屋敷遺跡を欠かすことはできません。1986・87年の発掘調査によって、緩斜面下の湿地に立地していたこの遺跡からは直径40cmにも及ぶ柱を用いた方形木柱列などの遺構が発見されており、建物跡かあるいは木柱を建てる祭祀行為があった可能性が推定されています。
また大量の土器の他に、縄文時代晩期末葉から弥生時代初頭にかけての、通常では残らない弓・石斧の柄・皿・コップ状木製品・櫛などの木製品や未成品、編布の断片、籠・縄・漆塗りの繊維製品・種子などの極めて貴重な遺物が残存状態の良好な状態で出土し、縄文人の道具の多様さと生活の様子が見事に浮き彫りにされて全国的に一躍有名となりました。さらに縄文時代に縄が盛んに作られていたことは縄文土器などで推定されていましたが、荒屋敷遺跡からは縄そのものが出土しています。籠類の出土も多く、また漆塗りの製品が目立つことも特筆すべき事実です。これらの遺物は、木製品や繊維製品の利用度が非常に高かったことを改めて認識させる結果となりました。2018年、これらの出土遺物はその価値が認められ、一括して国の重要文化財に指定されています。
只見町窪田、西会津町上野尻、喜多方市上野・岩尾遺跡、会津若松市墓料遺跡などでは縄文晩期終末から弥生時代初頭の再葬墓あるいはそれに伴ったと推定される土器が発見されて、当時の墓制を知る上で貴重な資料です。また荒屋敷遺跡や墓料遺跡からは弥生時代前期に属する遠賀川系土器が発見されており、縄文時代から弥生時代への連続性を物語る遺跡として大変貴重なものとなっています。