【小説】 ちぃ神さんの大イチョウ その2 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

小説

【小説】 ちぃ神さんの大イチョウ その2 

2023.08.15

菊地 悦子(きくちえつこ)

【その2】

「なあ、これ」
 コウコがイチョウの幹を指さし、おらを振り返った。見なくてもわかっている。ふたりでつけた背比べの跡だ。コウコがまだ今よりずっと小さかったころに、互いの背丈を印したのだった。コウコの方が少しだけおらより大きくなっていて、おらは本当にびっくりしたのだ。

 こどもたちのほんどは鬼につかまり捕虜となった。コウコは缶をけるチャンスを伺っている。成功すれば捕虜は全員解放だ。あんまりどきどきするものだから、おらはつい笑いだしそうになってしまう。するとコウコはそのたびに、眉間に皺を寄せ、「しっ!」と口に指をあてて見せた。

「コウコめっけ!!」
 ダッシュで飛び出し、缶をけろうとした瞬間、コウジが叫んだ。
「あーあ! もうちょっとだったっけぇ。だいたい、こんなとこで缶けりやったっておもしゃぐね」
 急に機嫌が悪くなったコウコは、ぷりぷりしながら「帰る」といった。コウコはときどきこうだ。気分屋で自分勝手なところがある。みんなは、コウコがひとりっこで甘やかされているせいだと思っていて、「コウコのわがまま、ひとりっこ」などと時折、陰口をたたいていた。

 しかし、ひとりっこなのはコウコのせいではないし、ばあちゃんとふたり、出稼ぎにいっている父ちゃんの仕送りが頼りの暮らしの中で、わがままをする余裕などはない。母ちゃんは、コウコがまだ小さいころに病気で死んだ。「コウコがむずせくて」が、ばあちゃんの口癖だったが、ひとがいうほど甘やかしているわけではなかった。
 実際、小学校に上がる頃は、コウコはひとりで飯も炊いたし、薪で風呂も沸かした。四年生になった今では、ばあちゃんを手伝って畑もするし、大根も漬ければ柿も吊るす。
ただコウコは他の誰とも、ぜんぜん違っていた。

 おらの話をしよう。幼い子らは、みんなおらのことが大好きだ。赤ん坊は、おらを見ると手を伸ばしてあうあうと笑う。ほっぺたをちょんとつついてやると、しばらくはえくぼになって、赤ん坊の笑顔にとどまった。
「あらぁ、なんだってめごいことぉ」
 母親たちはわが子の頬に丸い小さなえくぼを見つけると、甲高い声でうれしそうに叫ぶのだった。

 ハイハイやよちよち歩きができるようになると、おらに触りたい一心で追ってくる。着物の袂に触れる瞬間、おらは少し遠ざかる。そんな追いかけっこさえも飽きることがない。しかし、その子らが三つ、四つと大きくなるにつれ、おらのことが見えなくなる。いつもそれは突然にやってきて、昨日と同じようにそばにいるのに、その目はおらを素通りする。そんなとき、こどもらの瞳はガラス玉のようになった。そのたんびに胸のあたりがチクっとするけれど、それはほんの一瞬のこと。それがおらとこどもらの関係だ。次から次にこどもは生まれ、次から次に大きくなっていく。それだけのことだった。

 ところが、コウコは違った。コウコは三つになっても四つになってもおらをまっすぐに見つめた。それだけでなく、おらの手をとり、笑いかけ、一緒に遊ぼうと誘った。不思議なことに、それはコウコが小学校に上がってからも、四年生になった今でも変わらない。
 幼い子らがおらを忘れれば、おらもじきに忘れてしまう。みんなガラスの目をした知らない誰かになって通り過ぎるはずなのに、コウコだけはおらにとどまったまま、毎年大きくなっていく。

 小柄なコウコも、七歳を過ぎたあたりからおらの背を抜いた。今ではおらより頭ひとつ大きくなった。「おらたちは友だちだ」と、コウコはいう。これが友だちというなら、コウコはおらの初めての友だちだ。コウコが友だちというたびに、おらはなんだか甘いようなすっぱいような、それから少し寂しいような気持になる。コウコもいつかは、おらが見えなくなってしまうにきまっているからだ。

 おらはときどきコウコと学校へも行く。一番後ろの空いている席に座っていると、コウコは時々後ろを振り返っておかしそうにクククと笑う。おらたちはコウコの席に半分こずつ腰かけて、授業中すましていることもある。そんなとき、必ずコウコは先生に怒られた。
「コウコ、またおめは。なんでじっとしてらんにだ。それがらぶつぶつしゃべったり、笑ったりしてんでねぇ!」
そんなことが続くと、おらはコウコに申し訳ないような気持にもなるのだ。

 コウコの母ちゃんが死んだとき、コウコはふたつになったばっかりだった。そのとき、おらはコウコのそばにいて、コウコの母ちゃんは、死ぬ間際、おらに気づいて少しびっくりしたような顔をした。ときどきそんなことがある。人があっちに行こうとするとき、おらが見えるらしい。驚いて、そしてたいてい懐かしそうに微笑む。産まれたての赤ん坊が初めて目を開いて、おらを見るときと同じ笑顔だ。
 コウコの母ちゃんもそうだった。そしておらに向かってくちびるを動かした。「たのむな」といったんだとわかった。だからコウコのことはよく見てきた。そんなせいもあるのかもしれない。コウコが他の子らと違っているのは。