山行記⑦吉尾峠 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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山行記⑦吉尾峠 NEW

2026.07.01

舟木 志子(ふなきゆきこ)

吉尾(よしゅう)峠  5月29日

 吉尾峠は、若松城下と奥会津を結ぶ銀山街道の一番只見側の峠であり、現在の昭和村と只見町を繋ぐ道だった。古くは幕府の直轄領でもあったことから巡見使も通った道である。また、昭和村で出来た良質なカラムシは、この道を通りさらに六十里峠や八十里峠を越えて越後に行き、越後上布や小千谷縮に加工され、植物繊維としては国内最高級の夏衣となって全国に流通した。越後からは北前船で届いた産物や、様々な文化がもたらされ、越後のゴゼさんもこの峠を通って昭和村に芸能を運んだ。

 峠の頂上から只見側に少し下ったところにある吉尾集落の子供たちは、この峠道を歩いて昭和村の野尻小学校や下中津川の昭和中学校まで通ったそうだ。また、郵便物は野尻局の配達員が歩いて届けたと聞いている。現在では「歩く県道」となっているため、草刈りなど多少の整備はされていて危険個所は無いが、入山者は少ない。

 一昨年秋に三島町から昭和村に通じる美女峠を、美女を自称する3人でワイワイと楽しく歩いた。その時のメンバーで「次は吉尾峠へ!」と昨秋に歩く予定だったのだが、熊騒動で見送り、満を持してこの時期に吉尾峠を歩くことになった。
 朝6:00に自宅を出発して友人の車と2台で只見町布沢(ふざわ)の登山口に車を1台配車し、そこから昭和村に戻り、道の駅でもう一人の栃木の友人と合流し昭和村中向(なかむかい)の登山口に向かう。ここまでですでに3時間経過。9時ちょうど頃にようやく歩き始めとなる。

 緑が深くなってきた沢沿いの道は、流れる水の音が心地よい。緩やかにアップダウンを繰り返し、時折沢を渡りながら少しずつ高度を上げていく。朝のうちは結構な雨が降っていたが、歩き始める少し前に雨は止み、しっとりと濡れた緑がいっそう鮮やかに感じる。純白のハクウンボクや濃いピンクのタニウツギが緑に映えてとても美しい。雨具を着て歩き始めたが、暑くなってきたので水分補給や衣類調整のため小休憩をはさみながら歩く。天気が回復し、鳥たちが鳴き始める。聞き取れるのはウグイス、遠くでアカショウビンも鳴いている。栃木から来た友人は「初めて聞いた」と、とても感激してくれた。昭和村ではこの時期は毎日聞こえると話すと、びっくりしていた。心配だったのは熊だ。気配や臭気は無いが、鈴を鳴らす他に「ほーい、ほーい」と3人で声を出しながらにぎやかに歩く。なんと言っても美女(自称)3人なので、襲われたら大変だ。

 1時間15分ほどで峠の頂上に到着。小さな祠がありお参りしておやつタイム。朝が早かったので、お菓子や果物で小腹を満たす。その先は只見町だ。昭和村側から峠を少し下るまでは森の中を歩いてきたが、その先は明るく開けた雰囲気となる。草原と言うか、萱野と言うか、とにかく道の近くに木々は少ない。ここは吉尾集落の跡地で、昭和45年に集団移転するまで人々の暮らしがあった場所だ。民家などは跡形も無いが、スゲやヨシの茂る野原は、そこが耕作地だったことを想像させる。集落の外れまで来ると墓地があり、比較的新しい墓石が建っていた。見ると平成の年号が記されている。どんな想いでこの地を離れ、そしてこの地に戻り眠ることを選んだのか。全く知らない人の墓石に、胸が熱くなった。

 集落を抜けると、また沢沿いの道となる。広い沢を渡る個所もあり、転ばないように気を付ける。事前に沢を渡る個所が何か所かある事や、朝まで雨予報だったこともあり、全員長靴を着用して歩いたのは大正解だった。
昼前頃に只見側の入り口の、あらかじめ車を停めておいた場所に到着する。3.9キロの峠道は、予想よりも明瞭で、踏み跡もあり、道迷いの心配なく歩けた。
 昔日の人々の暮らしに想いを馳せ、歴史を感じながら歩く古道散策は、山歩きとはまた違った発見があり楽しい。これからも細々と続けていきたいと思う。

コースタイム:9:00 昭和村中向登山口 10:15 峠の頂上に到着 11:40 只見町布沢到着