新着情報 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM - Page 13

佐々木長生先生と会津の冬

菅家 洋子(かんけようこ)  猪苗代湖の白鳥の北への旅立ちが、今年は一カ月ほど早く始まったという。ついにこの時が来てしまった。しかもこんなに早く。名残惜しい。白鳥は私にとって、とても大きな冬の ...さらに表示

「災禍の果てに」⑥⑦

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈6〉一揆(河北新聞2020,10,14)  九月の末、釜石から三陸鉄道リアス線に乗った。復興とはなにか、という問いが、窓の外にゆら ...さらに表示

紙雛を流す

井口 恵(いぐち めぐみ) 渡部勝子さん(昭和4年生 三島町) 「みんな作って流しちまうから、雛人形は持ってない。里から(お嫁に)来た人は実家から貰ってきたりするけど、昔この集落の人は雛 ...さらに表示

ソバヤキモチとカンネリボー

鈴木 サナエ(すずき さなえ)   昭和40年代後半、私は初めて「ソバヤキモチ」を見た。定かではない記憶だが、ちょうど今頃、2月の冬の時期だったと思う。20代の私は、アルバイトをしていて、隣の ...さらに表示

【きかんぼサキ】初めての病院 

渡辺 紀子(わたなべのりこ)  日頃の定着したイメージは、そうそう崩れるものではない。サキノにとって代名詞のような“きかんぼサキ”が、時によって厄介なことを招くこともある。  サキノが通 ...さらに表示

飴煎じ

                                鈴木 サナエ(すずきさなえ)     まだ、小学校にも上がらない子どもの頃、すぐ近くの、本家の祖母の家で水飴を飲んだことが ...さらに表示

カンネリボウその後と琵琶の演奏会

                                鈴木 サナエ(すずきさなえ) 只見町には都会からの移住者が多い。ある人は只見に居を構え、またある人は別荘として構えて、生活している。ほ ...さらに表示

焼畑で「を」を作る

菅家 博昭(かんけひろあき)  奥会津で「を(wo)」というのは、繊維植物のアサ(大麻)のことを言う。江戸時代はアサ繊維の一大産地であり、その麻布も「伊北(いほう)布」と言って他所より引き合い ...さらに表示

2024.02.15 奥会津を学ぶ