新着情報 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM - Page 11

【きかんぼサキ】初めての病院 

渡辺 紀子(わたなべのりこ)  日頃の定着したイメージは、そうそう崩れるものではない。サキノにとって代名詞のような“きかんぼサキ”が、時によって厄介なことを招くこともある。  サキノが通 ...さらに表示

飴煎じ

                                鈴木 サナエ(すずきさなえ)     まだ、小学校にも上がらない子どもの頃、すぐ近くの、本家の祖母の家で水飴を飲んだことが ...さらに表示

カンネリボウその後と琵琶の演奏会

                                鈴木 サナエ(すずきさなえ) 只見町には都会からの移住者が多い。ある人は只見に居を構え、またある人は別荘として構えて、生活している。ほ ...さらに表示

焼畑で「を」を作る

菅家 博昭(かんけひろあき)  奥会津で「を(wo)」というのは、繊維植物のアサ(大麻)のことを言う。江戸時代はアサ繊維の一大産地であり、その麻布も「伊北(いほう)布」と言って他所より引き合い ...さらに表示

2024.02.15 奥会津を学ぶ

「災禍の果てに」④⑤

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈4〉距離(河北新聞2020,8,13)  人のあいだと書いて、人間という。ならば、人間にとって、距離とは、とりわけ社会的な距離とは ...さらに表示

悉有仏性(しつうぶっしょう)

井口 恵(いぐちめぐみ) 金坂富山さん(昭和25年生 柳津町) わずか5㎜の籾殻、10㎜の銀杏、30㎜の胡桃を厨子にして、硬くて粘りがあり、木目が細かく積んだマユミやツゲの木で、その中に ...さらに表示

【わっさな暮らし】人と獣の関係

井口 恵(いぐちめぐみ) 二瓶正雄さん(昭和22年生 三島町) 私が奥会津に来た2017年から、近年にかけて目に入る風景に大きく変わったところがある。田畑を囲う電気柵だ。かつて会津にはい ...さらに表示

「災禍の果てに」②③ 

赤坂 憲雄(奥会津ミュージアム館長) 「災禍の果てに」〈2〉共生(2020,6,11河北新聞)  連休のころ、カミュの『ペスト』を読んでいた。その文庫本はじつは、東日本大震災のあとに書庫 ...さらに表示