鈴木 サナエ(すずきさなえ)
1月23日、21日から降り続く雪の中、私の営む農家民宿「山響の家(やまびこのいえ)」に連泊した沖縄の高校生4人が、初めての雪に大はしゃぎしながら、無事、次の目的地のディズニーランドを目指して帰っていった。子供たちの笑顔はこの雪の中、沈みがちな心を明るくしてくれた。送り出してホッとする間もなく、次の25日に予約があったお客さんは、「この雪だものお断りするしかないな」等と考えながら、帰りの車を走らせた。
福島県の農家民宿は、主に小学生から大学生たち対象に、教育旅行と称して、農業体験や田舎暮らしの体験をしていただくことを目的としている。私の場合、長い間の勤めを定年退職し、さて何をやろうか、と考えての選択だった。食事を作ることも体験の一つだから、一緒に台所に立ち、一緒に食べるというスタイルで、食事だけの提供というのはない。
しかも、退職当時は原発の風評被害で、来てくれる学校はほとんどなかった。そこで、平成26年、食事も提供できる農家民宿を目指して、保健所の飲食店営業の許可を取得した。その間、町の観光協会も力をいれてくれ、理解してくださる学校も増えて、徐々に客足も回復していったが、今度はまさかのコロナ禍で、来てくれる学校は全くなくなってしまった。そんな状況の中で来てくれた沖縄の高校生だった。
山村での暮らし、雪国暮らしを少しでも知ってもらいたい、との思いから始めた農家民宿だったが、飲食店営業の資格を得、自分の作った野菜、只見でできるお米や味噌、豆腐などを使った食事も提供でき、またその中でいろんな方々と巡り合えるのは、本当にありがたい。
只見町は名にし負う豪雪地帯。ひと冬の積雪は3メートル、降雪は15メートルを超える年も珍しくない。そんな状況なので、1月にお泊りのお客様は例年めったにないのだが、今回のお客様Yさんから予約を受けたのは1月の中旬だった。横浜に住むYさんとは、去年の6月に、私たち4人の登山グループで北海道の利尻島、礼文島を巡った折に出会った方だ。利尻岳に登り、礼文の島の花に遊ぶ、というのは私の40年来の夢だった。その島で私たちはなんと利尻岳の避難小屋、礼文島トレッキング中、そして礼文島のお宿と、3回も偶然にお会いした人だった。こんな時、グループのH嬢は、よく私の農家民宿<山響の家>をコマーシャルしてくれる。お陰で、只見まで来てくれるというのだ。すぐ田島の3人にも連絡したら、3人も集合することになった。
しかし、日を追うごとに雪はだんだん多くなる。只見線は大白川から会津川口間はほとんど絶望的なので、残るは田島からのバスなのだが、「そんなに無理しなくても。」と、キャンセルを覚悟していた。ところが、予定も迫った日、電話があり、「いろいろルートを検討した結果、文字通りの不要不急の外出ですが、田島周りで、予定通り只見入りする。」とのこと。そして、なんと田島の3人組もなんの迷いもなく、只見に集合するのだという。こうなれば私も腹をくくって受け入れるしかない。
こうして実現した、利尻、礼文再会の食事会だったが、結局Yさんが乗った磐越西線は、雪のため遅れが生じ、田島からのバスにも間に合わず、予定を変更し、芦ノ牧温泉の宿を楽しんだ。そして、幸い雪も小康状態となった26日、一日遅れで意気揚々と只見入りされ、町の施設のブナセンターも見学するという余裕ぶりだった。田島組も地酒や手作りのお土産各種、なんと歓迎のケーキまで携えて、賑やかな只見入りとなった。夕方5時半ごろから始まった食事会も、飲んで、食べて、思い出話に花が咲き、結局、田島からの三人は10時近くに帰っていった。幸いこの日は雪も少なく、完璧に除雪された南会津の道路は安心だった。


翌朝、Yさんは車庫の前の雪かたし、という雪国体験を買って出てくださり、車庫の前は数日ぶりできれいになった。その後、モノクロームの雪国の風景を楽しみ、保養センターの湯につかり、珍しく運行された只見線に乗って会津若松に向かわれた。只見川に寄り沿って走る只見線は、のんびりと、たとえようもなく美しい。きっと心に残る旅になったに違いない。
お陰様で、今年の「山響の家」の出会いの始まりはとても明るい。
この大雪の土の中で、じっと春を待つフキノトウの、柔らかな緑に出会える日が待ち遠しい。