【きかんぼサキ第2部】椎名組という風 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】椎名組という風 NEW

2026.02.01

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 山の宿のロビーはしばしば地域の人が立ち寄るお休み処となることがある。
「サキ姉、居たか?」
「さっきの救急車、誰だか分かっか?」
「おらほの〇〇あんにゃ、いよいよ息子のとこに行くようになっただと」等々。
 日々の話題が交わされ、情報交換が繰り広げられる。
 その日も通りがかりに役場の人が立ち寄り、サキノにこんなことを訊いてきた。
「椎名誠って人、知ってっか?何だか本書いてる人らしいだが、その人が映画撮るのに湖探してんだと。おら方の沼沢湖どうだべ?って問い合わせ来たんだが、なじょだと思う?」と。
「おらはそぉだ人知らねぇな」。
 サキノはそう答え、居合わせた私が椎名誠さんに関する知り得る情報を伝えたのだった。
 それから少し経った頃だ。映画の受け入れが決まったと、役場の方が知らせに来てくれた。沼沢湖を舞台に撮影されるという。湖の近くには元学校の宿泊施設もあり、大勢のスタッフを受け入れるのには最適だったようだ。ロケはほぼ金山町内ということで、見慣れぬ集団が撮影などという見慣れぬ光景であちこちに出没する日々が始まった。
 サキノの旅館がメインの宿泊先ではないので、その賑わいが一気に押し寄せたわけではなかった。ところが、旅館のお風呂やすぐ近くにある共同浴場に、ちらほらと映画関係の人たちが入浴に来始める。宿泊施設のお風呂が温泉ではなかったからだろう。そのうち、椎名さんが撮影の合間に原稿を書きたい時や、仲間が訪ねて来た時、少しだけこちらに泊まられるようになると、出演者の宿泊、スタッフの慰労会、地域の方々との交流会…等々、映画関係者の方々が利用して下さる機会が徐々に増えてきた。
 サキノにとっては、どんなお客様にも同じ態度であることは変わらない。その日、隣の共同浴場から戻った椎名さんがサキノと居合わせた。
「母さん、今、そこの共同浴場で叱られてきたよ」。
「何か悪いことでもしらった(した)のかよ?」
「入ってたおじいちゃんに“どこから来た?”って訊かれたから、“東京です”って答えたら、“じゃあどこに泊まってる?”と。“恵比寿屋さんです”って答えたら“恵比寿屋ならそんなホイト(乞食)みたいな恰好で泊まってはだめだ!”って叱られたんだよね」と。
「あぁ、あのじさまなら言うべな。先生みてぇな破れてるようなズボンにサンダルだも、ホイトのように見えただべ。先生、東京では流行ってんのかもしれねぇが、ここらの人には分かんねぇべぞ」と。
 サキノのこの反応に、ニヤッと笑いながら部屋に戻られる椎名さんだった。
 

 この映画の撮影中も椎名さんは「週刊文春」の連載を書かれていた。ということは、日々の奥会津での行動や出来事が連載に取り上げられることもあった。 
 ある日のこと、サキノが玄関先を掃除していると、椎名さんがぶらっと散歩から戻られた。
「先生、どこさ行ってきゃっただよ?」
「上の方に上がって行ったらおばさんがいてね、少し話したからそんなことちょっと書いてみようかと思って」
「なに?そんなこと書いて銭貰えんのかよ?そぉだことでいいなら、オラでも書けっぺした」
「いやぁ、母さんそこに少しは肉付けして書いてるんだよ」
「そんならいいがや」と安心するサキノ。
 そんな時、決まって椎名さんは「エへへ」と苦笑いか、ニヤッと笑いながら立ち去られるのだった。  時折、こんな珍妙な会話を交わし合っていた二人だが、見ている周りの人間はヒヤヒヤさせられる。

 映画の撮影が始まったのが、1993(平成5)年春のことだった。映画に当たりロケ地を探して全国を歩いていた助監督の方によると、美しい湖があって尚且つ観光地化されていない所、これが絶対的な条件だったという。なかなか見つからず最後にやっとたどりついた場所がここだったらしい。確かに沼沢湖近くにある「妖精美術館」もまだオープンせず(同年9月オープン)、観光地らしきものは見当たらなかっただろう。
 また撮影地の一つ、サキノの母校「本名小学校」も次の年には統合の為閉校。小さな、のどかな小学校の最後の姿も映像に刻まれた。町の何人もの方々も、エキストラとして映し出されている。大切な町の宝物が詰まった映像は、町の人々への思いがけない贈り物となった。

 長丁場の撮影の間中、サキノは椎名組(撮影メンバーを総称して~組と呼ぶ)の方々にお母さんと呼ばれるようになっていた。
「東京から来たからって、たいした気すんなよ。ここでは、ここらの人の言うこと聞かんなんねぇこともあんだからな!」
 時折サキノが若いスタッフを叱る。そう言いつつサキノは、不意に何かを振舞ってみたりする。春には採れたてのヒルに自家製味噌を添え
「先生、かじってみらっしぇ!うまいから」
 夏は夏野菜を刻んで作ったつけだれでソーメン、秋にはキノコが沢山届くと早速何か拵える。宴会の後や麻雀の合間など、その振舞うタイミングも絶妙だった。頼まれたわけでもなく、特別なサービスというわけでもない。おいしいものはすぐさま食べさせたいと、思い立ったらチャチャっとがサキノ流なのだ。

 椎名組という風が去った後も、椎名さんやスタッフの方々がぶらっと訪ねて下さることがある。
「おぉ、母さん」
「先生、まめだったかよ?」
 帰り際には
「また来るから、母さんも元気でね!」と、静かな風のように宿をあとにされる。
 ふと考える。椎名さんとサキノは、二つ違いの同世代なのだ。でも、やはりずっと“母さん”と呼ばれ続けるのだろう。
 サキノは、宿のおかみというより、なぜだかそういう人なのだ。