藁包みの急須 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

藁包みの急須 NEW

2026.01.15

菅家 洋子(かんけようこ)

 1月10日、会津若松市で開かれる初市「十日市」に出かけた。出店の並ぶ通りに入ったのは、午前10時前。さあ、と歩きはじめると、早々に戻って来る人の姿がある。手元には、縁起ものの風車が入った袋。さっそうと粋にも見えるふるまいが、初市に映えていた。空気中の水蒸気が凍ってできる小さな氷の結晶「ダイヤモンドダスト」が、陽の光に照らされてまぶしく舞っている。街全体が魔法にかかったようにキラキラしていて、わくわく、ふわふわ、浮足立つ。

 手にしたい目当てのものも特になく、人の波に流されながら歩く。起き上り小法師を転がし縁起よく立ち上がるものを選ぶ人たち、キャラクターの飴を吟味する子ども、道脇に寄って屋台の食べ物をふうふうと嬉しそうに食べる家族連れ、高田町のきんつば屋はやはり人気がある。楽しそうにしている人を見るのが、何より楽しい。
 ひととおり歩いて帰り道、はっと目を引くものがあった。ダンボール箱に入った、いくつもの急須。それが、ひとつひとつ藁で包んであった。「わぁ、すごい!」、少し離れたところにいた夫ヒロアキさんに呼びかけると、声に気づいた店主もこちらに来てくれた。「60、70年くらい前のものかな。会津本郷のせともの屋さんに仕舞ってあったものですよ」と。時間をかけてする仕事ではない、藁を握りギュッ、グルグルッと急須を包む、手さばきの名残を感じる。これはとても大切なものだと思い、ひとつ買い求めた。
 同じ焼きもので皿や椀なども「藁で包む」ということがされただろうか。藁といえば縄にして利用したり、ゾウリやゲンベなどの履物、納豆を包むツトなどがまず思い浮かぶけれど、緩衝材としての利用は身近なところで目にしたり聞いたことはないような気がする。
 奥会津で器と言えば、木地椀。民俗文化映像研究所の記録映画「奥会津の木地師」を思い出してみると、できあがった木地椀を重ねてまとめ馬に乗せて運ぶシーンが浮かぶ。藁の紐でまとめてあった覚えがあるけれど、簡単に割れたり傷がついたりする心配のない木地椀に特別な包みはなかったと思う。
 漆を塗ってからの漆椀の運搬では、アサ(大麻)の繊維を取り出す際に出るカス「イラワタ」(昭和村では「ヲクソ」)で漉いた紙を包みとして利用したという資料を読んだことがある。昭和村でアサを栽培していたころ(昭和60年代以前)は、「ヲクソ」を買いにやって来る人もいたと聞くから、ヲクソで漉いた紙というのは多くの需要があったのだろう。
 昭和村でからむしに関わるなかで、興味関心は「植物の利用」全体に広がっていく。それぞれの土地、時代にある暮らしと文化に沿った植物の利用を知ることはとても面白い。はっとする気づき、本を開いて調べたり、人にたずねながら思考する時間が、好きだなと思う。今年もまた、訪れる場所、出会う人から、様々なことを学ぶ一年としたい。十日市で出会った藁包みの急須が、その気持ちを思い出させてくれた。