渡部 和(わたなべかず)

11月半ばを過ぎるころ、三島町は初雪を迎えた。どの家も畑の収穫をほとんど終え、雪囲いを済ませた家の周りはきれいに片付けられている。雪の前はいつ降るかと気が気でないが、一度降ってしまえば、長い冬を迎える心持ちに自然と落ち着いてくるのは毎年のことだ。
ストーブの前で黒豆を干していると、腰をおろし、大ざるの中に顔を入れるようにして豆を選っていた、夫の母の姿が浮かんでくる。
義母が他界したのは去年の春。98歳だった。義母が強く願ったように自宅で最期を迎えられたのは、奥会津在宅医療センターの皆さんがいてくださったからだ。
前年の夏に食道がんが見つかり、出来る限り口から飲食できるよう処置をしていただいたが、暮れには介助なしでは起き上がることもできなくなった。
かかりつけの宮下病院で、これからどんな生活をしたいですか、と尋ねられると、義母は「もう入院はしない。どこへも行きたくない。ずっと家にいたい」とはっきりこたえた。そこで、奥会津在宅医療センターのお世話になることが決まったのだった。
訪問診療は主治医の診察のほか、数名の看護師さんが交代で訪問する。週に一度の訪問が義母の容体の変化に伴って二度、三度となり、最後の時期は毎日、また朝夕二回訪問してくださることもあった。
入浴や清拭を訪問看護師さんがしてくださるようになり、私はとても楽になった。膝の痛みを誤魔化しつつ介助していたからだ。排泄介助も、手早くする方法を看護師さんに教えていただいた。
褥瘡(床ずれ)や、病気の進行による痛みを取り除く処置など、医療者でなければできないことも説明を受けながら間近に見ることができ、義母に起こってくる変化を家族も受け入れることができた。
この訪問診療のチームに、義母はもちろん、家族もどれほど支えられたことだろう。その言葉や処置の一つひとつに、義母への尊敬や温かさが感じられ、とてもありがたかった。家族の心配事にもていねいに応えてくださり、私たちは安心して何でも相談できた。
義母は家にいることで親しい人たちと何度も会うことができた。「ありがとう」と笑顔で伝えながら冬を越し、まだ雪の残る3月、住み慣れた家で穏やかに旅立った。
奥会津在宅医療センターは、県立宮下病院と連携し、奥会津4町村(柳津、三島、金山、昭和)を対象として在宅医療・看護に当たっている。終末期医療のプロであるこのチームが、高齢者の多い、しかも豪雪地である奥会津地域で活動していることには大きな意義がある。これからますます必要とされていくだろう。
自宅で看取ることは夫と私にとって覚悟の要ることだったが、この選択をして本当によかったと思う。奥会津在宅医療センターの皆さんがいらっしゃらなければ、義母の願いは叶わなかった。あらためて、心より感謝申し上げます。
まもなく迎える年取り。喪の明けた今年は、義母の好きだった餅を搗き、黒豆を煮て供えたいと思う。