日本百名山 会津駒ケ岳 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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日本百名山 会津駒ケ岳 NEW

2025.11.15

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

 10月初旬、少し余裕があったので、何処かの山に行きたいと、あれこれ思いめぐらせていた。まだ登れそうで、未知なる山も沢山あって、低山なら大丈夫かな、とも思いつつ、毎日のように流れる熊被害のニュースに、ちょっとひるみ、結局選んだのは、日本百名山の一つ、会津駒ケ岳だった。百名山なら平日でも結構登る人が多いので、私のような稚拙な一人登山者には、もし万が一のことがあっても、助けてもらうことができる。現に数年前、会津駒への登山中、水場のちょっと手前で、一人の男性がうつぶせに倒れているのを、行きずりの登山客が見つけて、救助を要請したところに出くわしたことがある。私よりずっと若い人だったが、木の丸太に腰かけて休憩していて倒れたらしい。山だっていつどんなことがあっても不思議ではない覚悟は必要だけれど、できたら心配や迷惑をかけたくないのは、当たり前の心情だ。
 その「日本百名山」だが、もう60年以上も前に深田久弥が、北海道から九州の屋久島まで、自分が登った山で、お気に入りを100座選定して書いている。その基準は山の品格、歴史、個性で、標高はおおむね1500m以上、ということだが、昨今のこの100名山の人気ぶりは、深田ご本人の想像をはるかに超えているように思う。改めて100名山の全体図を紐解いてみると、圧倒的に日本アルプス周辺が多い。その中で福島県には7座、しかもそのどれもが会津の山々だから、身近にこんな誇れる山々があるのは嬉しい。また、深田の著書で「わが愛する山々」というのが手元にあるが、この中で深田は新潟県の守門岳に登り、翌日は福島県との県境にある隣の浅草岳に登る予定が、雨で断念している。それでもこの山域を「目立って高い山がないので見逃されてきたが、地図を見ているだけでも楽しくなる地域」とも、「浅草岳も私の未来の楽しみに残しておこう」とも書いている。私は決して100名山や深田だけを信奉するものでもないけれど、これらの本は、まだ山が憧れの対象だけだった若い頃を思い出させてくれる。
 さて、今回の会津駒登山も、車を国道脇の駐車場に止め、滝沢口の林道を歩くことにする。大方の人は林道終点まで車で入るのだが、私はあわよくば、高山植物が多く、大好きな富士見林道を歩き、キリンテに下りたいと思っているので、あえて上にある駐車場までは車で行かないことが多い。しかし、この時点で、水分を忘れてウロウロし、出発時間も遅れたので、登山客の少ない、キリンテへの下山は諦めることにした。
 爽やかな秋の日、滝沢の沢の音が清々しい。白いサラシナショウマの花が目に付く。この辺りは、初夏の頃には黄色のタマガワホトトギスも目を楽しませてくれる。程なく、林道を逸れ、山道に入る。沢の音が聴こえなくなった頃に、林道終点の駐車場に着く。登山口には木製の急な階段が据えられてあり、その先も、のっけから、奥会津の山らしい急登が続く。まだ青葉のナラの林に気をとられながら、次々と先を急ぐ登山客に追い越され、だんだんとブナの原生林に入っていく。おとぎ話に出てくるような、赤いキノコに歓喜し、喘ぎながら、やっと中間地点の水場入口に辿り着き、いつの間にか増えたベンチで、三度目ぐらいの休憩タイムとする。

 

 その後も急登が続き、しばらくすると、少し緩やかな登山道脇の木々は、ダケカンバやオオシラビソに代わっている。元気を出して木道を歩むうち、小さな湿原が現れ、最初のベンチで早いランチタイムとする。ゆっくり休憩した後、立ち上がろうとしたら、あろうことか、脚がつってしまった。こんな時の漢方薬の用意があったので、事なきを得たが、山で脚がつったのは初めての経験である。寒くなって、水分が不足していたのかも知れない。その後、のんびり立ち上がり、小さな池塘を眺め、見事な傾斜湿原の中の、よく整備された木道を気持ちよく登る。湿原の中は草紅葉のキンコウカも大型のコバイケイソウも色を失っているが、ナナカマド、モミジなどの木々は紅葉し始め、まだ緑が残る山稜のグラデーションがとても美しい。

 
 
 程なく着いた駒の小屋の前のベンチは、相変わらずの賑わいを見せている。リュックをおろし、駒の大池の周りを巡る。以前、知り合いの岳人が、6月末ごろから咲き誇るこの山の名物のハクサンコザクラの減少を嘆いていたが、今は回復しているように見える。チングルマの可愛い綿毛もまだ沢山残っていて、オヤマリンドウの紫やイワショウブの白が、僅かに色どりを添えていた。

  

 真っ直ぐ伸びる木道の先は、30分ほどで一等三角点のある山頂へ登頂できる。山頂近くから北の稜線をたどれば、春夏はやはり見事なお花畑と大池のある中門岳へ続くが、今日はこの駒の大池を愛で、来た道を引き返すことにした。
 下山途中の水場入口で、100名山踏破を目指す男性と30分以上も山談議に花が咲いた。聞けば大阪から車できて、職場もリタイアし、北海道も日本アルプスも登り切り、この辺りだけ残すのみとなり、ファイナルも近いと張り切っている。飯豊山も日帰りを目指すという。こういう人のなんと多い事か。話過ぎたと、疾風のように下山していった。私は相変わらずのんびりと登山口を目指し、通る人のいない近道では、大声で歌を歌いながらの下山だった。
 昔々、10月下旬に夫の章一と登った時は、山頂付近で雪になって、首根っこに入り込んだ雪がとても冷たかったが、それでも、それはそれで珍しくもない雪を大いに楽しんだ。深田はこの山を「どちらを向いても山ばかり」と書き記している。福島県第2の高山で奥が深く、雪の多い奥会津の山は初雪の降る日も近い。来年は、今だ果たせずにいる、人気の駒の小屋に泊る念願を果たして、中門岳や富士見林道を歩きたいと思っている。