渡辺 紀子(わたなべのりこ)
「お母さんを取材対象に書いてみたら?」と言われた時の困惑は、決して忘れられない。頭が真っ白になるというのは、ああいうことなのかもしれない。一瞬の思考停止の後「絶対無理です!!」と思いきり叫んだものだった。しかし、情けないことに代案が無い。「でも、これなら書けます!」と言える代案が…結果、こうしてこの試練を受け入れ、積極的な意欲とは違う心境からスタートを切ってしまった。
聞き書きを始めると、母はつくづく驚くようなことをやってのけてきた人だった。エピソードを拾いつつも、そこに時代背景が透けて映像が浮き上がってくる。当時の資料から、また語りの中のかすかな手がかりから探ってみる。それが順調に出来る時とお手上げの時がある。
ある日、「残飯娘(※)」の逸話が飛び出した。興味はかなりそそられる。しかし、P隊(※)の実態を示す記録が地元に見当たらない。高齢の方々はP隊の存在は口にされる。そして遠巻きの遭遇談。でもそこまでなのだ。諦めかけたその時だった。どうやら宮城刑務所から来ていたらしいことが見えて来た。私の脳裏には一つの手段しか浮かんでこなかった。
「こちらは、宮城刑務所です。面会の方は1を、差し入れの方は2を、それ以外の方は3を押して下さい」
3を押す。呼び出し音が鳴る。そしていよいよ生身の人の声が現れる。
私の手段は宮城刑務所に直接尋ねてみることだった。人生初の刑務所への電話。突然昔のP隊のことを尋ねる電話に、相手方が大変混乱されていたことは言うまでもない。その電話で回答は頂けず、すぐに長い手紙で身分とお願いを書き、また切々と電話口で懇願。いくつかの段階を経て、晴れてあちらの教育係の方とお話出来る状況にたどり着いた。その後は本当に親切にして頂けた。話だけでなく写真の提供も快く受けて下さった。残飯娘のエピソードに時代背景が少し添えられたのは、宮城刑務所の方の協力があったからだった。
ある日、私にハガキが届いた。職場の異動を知らせるものだった。差出人は刑務所の教育係の方。添えられた一言、“後任のものに引き継いでありますのでご安心を”。こうした女神のような方に救われながら、四苦八苦の取材の日々は続いている。
※ 残飯娘の掲載回
「残飯娘 受刑者のもとへ」 2023.08.01
「残飯娘 合言葉は花子さん」 2023.08.15
「残飯娘 鳴り響くクラクション」 2023.09.01
※P隊(Pはプリズン(刑務所)の略)とは
刑務所の外で行われる構外作業に従事する受刑者。
構外作業は刑務作業の一つで、受刑者の社会生活への適応能力を養い、更生復帰を促す趣旨で、半解放ないし開放的な刑務所の外で実施された。