鈴木 サナエ(すずきさなえ)
近くのマーケットへ買い物に行くと、時々プラスチックケースにビッシリと入った豆腐を納品する恵子さんに出会う。恵子さんは町でたった一軒になってしまった豆腐屋さん、「堀金豆腐屋」の店主だ。
恵子さんとは顔見知りではあっても、親しくお話する機会はなかったが、豆腐の話が聞きたくて電話してみた。
「恵子さん、いらっしゃいますか」
「ばあちゃんかい」
と、電話口に元気な娘の返事が返ってきて、一瞬戸惑ってしまったけれど、考えてみれば、色白でとても若くは見えても、恵子さんが「おばあちゃん」でもちっともおかしくないお歳だ。それにしても、豆腐を作る「ばあちゃん」の、私のイメージとは程遠い若々しさだ。さっそく、奥会津ミュージアムの話をして、書かせていただきたい旨を話すと
「おらいの豆腐屋なんか、いづ辞めるかわがんねえしやぁ」と、寂しい答えが返って来た。
豆を潰す機械が古くなって、いつ壊れるかわからないし、只見の商店もドンドン閉店して納入先が減り、新しい機械を買う余裕はない。それに腰も痛くなってきた、と、二つの理由を聞いた。
今は、各町村に手作りの豆腐屋さんが大流行だが、恵子さんの「堀金豆腐店」は国道から少し入った所にあるせいか、大きな看板も無ければ、幟も立っていない。全く宣伝することもなく、多分、強いこだわりもなく、先代の姑さんの遣り方を受け継いで、淡々と毎日毎日、豆腐を作り続けている。昔の豆腐屋さんはとても早起きだったが、今はそれほど早く起きて造ることはないという。お店に並んだブルーのプラスチックに入った木綿の豆腐は、いかにも手作り風に、少しずつ形がまちまちなのが何とも微笑ましい。これから暑くなったら、防腐剤の入っていない豆腐には、より細かい注意が必要になるのだろう。

それでも恵子さんは
「ありがだいことにやぁ、おらえの婿さんが、早起きして勤めに出る前に、大どこをやってくれてんのやぁ」と、感謝の気持ちを忘れない。大どこ、とは大豆を洗い、潰して火にかけて沸騰させ、絞りだすところまでなのだろうか。
新しいミョウガで冷えた冷やっこを食べる日が待ちどおしい。