【風・奥会津①】暮らしを伝える | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【風・奥会津①】暮らしを伝える

2025.05.15

奥会津書房 遠藤 由美子(えんどうゆみこ)

「奥会津」の‟奥“をどう解釈するか。
それは、「奥会津書房」というささやかな出版グループを立ち上げる際の大きな命題だった。もちろん、辺境という地理的な意味合いを否定するものではないが、それだけではない覚悟のようなものが必要だった。
 私たちが求める「奥」は、都会から隔たった会津の山峡で暮らす人々の、深奥・秘奥・心奥でありたい。人間の生き方の最も深いところに辿り着ける場所。それを「奥会津」と解したかった。きっかけは、昭和村で「からむし」に関わったことだった。
 関わらせていただいた方々の日々の言葉には、自然の営みや歳時への敬虔な姿勢がさりげなく表現されていて、それはとても温かく懐かしい世界だった。忘れかけていたことが脈々と生きている場所。それが昭和村だった。
 古老を訪ねて、覚束ない聞き書きの旅を始めてから四半世紀が過ぎた。10年後、民俗学者の赤坂憲雄氏という力強い澪標(みおつくし)に出会うまでは、「聞き書き」という言葉さえ知らなかったが、仲間たちと集めた基層文化のかけらは、いつしか、自然に添う暮らしの核にある人間本来の生き方の品格を見せてくれた。「聞き書き」は、学びの旅に他ならない。
 奥会津の町や村には彩り豊かな歳時が散りばめられている。さらに、歳時には須らく祈りが張り付いている。なぜそれらを行じ続けているのか。恵みと災いの表裏一体をなす自然の営みを、御することなどできないと知り尽くした歴史を背負って、身を低めて祈らざるを得なかったからではなかったか。どんなに文明が進んでも、便利で効率の良い日常を得たとしても、自然の脅威には抗えない。人は必ず現生に別れを告げる。
 奥会津の先人や古老の方々は、自然の中に生きる「生き物」としての認識を忘れてはいない。現代の人間は生き物の頂点に立っていると錯覚しているが、獣や鳥や虫たちよりも無防備な生き物として自らを位置づける人々にとっては、他の生き物や草木でさえ折々の判断を仰ぐ師となる。自然の中に共存する生き物として、坦懐に彼らに教えを乞う文化が今も生きているからだ。
 こうした生き方は、競争する社会からは追いやられ、驕り続ける経済優先の流れからは「古びた習慣」として価値を奪われてきたきらいがある。さらには、高齢化率の高さから、マイナスのイメージで語られることも多い。
 90歳代、100歳代の方々に教えを乞うてきた今、それは身土不二の食材で命を繋ぐことの、大きな可能性を秘めた長命の証だと断言できる。基層文化に根を張って、生きる上での真の知を以って人を敬い、自然の両面を敬虔に受け入れてきた奥会津の多くの人々の生き方は、複雑にねじれた世情の中で、信じるに足る一本道を作ってきた。
古から自然と共に生きてきた会津の豊かな魂を抱えた、奥会津の時・場所・人の間には、健やかな風が吹いている。3人のリレーで繋ぐ異なる視座からの奥会津の風に、是非触れていただけますよう。

『月刊 会津嶺』2025年4月号より転載